消費税雑感

今の消費税というのは最初構想段階ではまったく違うものでした。付加価値税といって、工業製品など付加価値のあるものを作るときに港湾や道路やトンネルなどの国が整備したインフラを使って製品が作られてて、その製品の付加価値分に税をかけても受益者負担ということでいいだろう、という考え方です。この受益者負担の考え方をいちばん反映させたのが道路特定財源という、ガソリンにかけた税金の話です。応益負担原則という考え方なんすが、道路を利用する自動車のために道路整備したんだから自動車乗る人間は道路整備にかかわる費用を負担しなさい、的なものでした。で、付加価値税にはもちろん反発がありまして、妥協の産物として、いつのまにか消費に税金をかけることになりました。ところが消費税というのはなぜ消費に税金をかけるのか、わかるようでわかりません。そういう原理原則をはっきりしなかったので、混迷がはじまります。理屈をむりやり述べれば、消費者の手許に届くまで消費者は国や公共自治体のインフラを使って受益者なんだからそれを負担しなさい、みたいなところがあります。
で、消費税がさらに混迷するのは消費税の福祉目的税化、というのをやりはじめてからです。細川さんがいいはじめて小渕さんの時代にそうなりました。国や自治体が社会福祉に関して役務を提供してるのであるから納税者は得られる利益があり納税義務を負うべき・負担はすべきという理屈になります。最初の応益負担原則にもどったのですが、しかしもう、消費とは全然関係ないところにきちまってます。なぜ消費に税金をかけて、それを社会福祉に使うのか、わかりやすい説明は誰もできません。いま福祉・社会保障の費用が足らないからってんで社会保障に絡めて増税の話が進んでるのはその名残です。でもってこの消費税というのは消費がなくなることはありませんし、とりやすいので、重宝されています。とりやすいというのはどういうことかといえば、法人税は赤字ならば税金はかかりませんが、消費はなくなりませんからパンやお米を消費するときに税金をかけておけば必ず税をとれるからです。
しかし問題がないわけでもなくて、所得の少ない人でも消費はしなければならないので、所得の少ない人ほど収入の割に税金にとられる比率・負担が高く・きつくなっちまいます。戦後の日本は長いことカネがある人が税金を払う・納税者の担税能力に相応して徴税するという考え方があって(自動車利用者が払う道路特定財源分のガソリン税暫定税率や黒字法人が払う法人税はまさにそれなのですが)それは法の下の平等というのにどちらかというと親和性があるのですが、担税能力がない人でも消費税はかかるので、消費税はどちらかというと法の下の平等にはに沿ってないからです。岩手出身の政治家が国民の生活が第一、現時点での消費税増税は反対、と述べるのはそこらへんで、増税によって担税能力のない層を苦しめはしないか、というのはある種の説得力を持ちます。消費税のような間接税はくりかえしになりますが所得の格差などの差異を適正に考慮に入れることができません。所得税であれば課税の最低限基準や累進税率の仕組みなどを通して配慮できます。税負担の公平さは人によって異なる扱いで達成され同じ扱いをすることではないです。特に個人の所得が落ちてる被災地を地盤とする政治家がそれをいうのはよく理解できるのです。


実は今まで消費税をあげるときには所得税基礎控除を徐々に拡大してきました。33万から35万、そのあと38万へ、という数字です。所得税を減免して消費税負担額から差し引いた額が純消費税負担額になる仕組みを考えていました。消費税に関して歴代の政権は負担をやわらげていたのです。しかしどうもその措置が今回俎上にあがってません。でもって年少扶養控除が子ども手当騒ぎのあと消えてます。増税はやむを得ないと思いつつ、低所得者への現金給付というのはわからないでもないのですが、低所得とはいえないけど必ずしも所得が高くない層はかなり負担がきつくなるはずで、税は人の在りかたを左右するだけにちょっとダイジョウブなんかな、って思ったりするんすが。