借金というのは不思議なもので、破たんする前は貸したほうが強いのですが、破たんすると借りたほうが強くなります。有名なのは調所広郷のやった薩摩藩の財政改革があります。12万両の収入しかない薩摩藩に500万両の借金と年80万両の利息を抱えてたのですが、踏み倒すよりいいだろう、ということで無利子かつ元本250年賦にして手を打ってもらい、薩摩藩がなくなるまでそれを継続しました。よその国でも同じことがあります。国債というのは国の信用がついてるのでまず債務不履行≒借金が返せない事態というのはないのではないか、と思われていました。それが崩れたのが10年前に起きたアルゼンチン国債債務不履行です。払えないものは払えないとして、一方的に利払いを止めて、そのあと元本の7割削減と元本にかかわる延滞金利を支払わない条件さえのんでくれれば2033年までにあとの分は必ず返すので古い条件の債券を破棄してあたらしい債券を交付したい、ということを2003年に提案して、ゼロよりはいいか、というのでそれに応じたところもありますが、もちろん冗談じゃないと応じてないところもあります。ギリシアの件もどれだけ債務を減らすか、というのが議題になってますが、アルゼンチンの前例を考えると簡単にはまとまらないかもしれません。


明治維新以降の日本の場合、工業輸出国で対外的信用を気にするので、意地でも約束を守り、借金を返してきた歴史があります。古くて恐縮ですが、日露戦争では2億6000万の国家予算に対し18億費用が掛かって対外的に借り換え分を含め13億ほど債券を英国ポンド建てで発行してるのですが、第二次大戦中も中立国に代理人を立てて払い続けまして借り換えを含めてその債券を75年かけてすべて完済したのが1980年代です。対戦国のロシアはあとで成立したソ連ロマノフ王朝時代の債務は引き継いでません。踏み倒して身軽になりました。こまめに払った日本がなんだか馬鹿みたいですが、そういう歴史があります。ロシアと日本を比較すると、こまめに払ったほうがいいのか、一気に楽になったほうがいいのか、判断が分かれますが、資源のない小国である日本の信用はそうやって守られてきたのかなあ、という気もします。


都営地下鉄に何年か前に「元カレの元カノを知っていますか?」という、どきっとするコンドーム普及のポスタがあって、念のためコンドームを、という趣旨なんすけど、そのうち外されちまいました。信用の話にもつながってくるのですが、相手がコンドームなしでしたがると、あのポスターを見たら、ことばでダイジョウブといっても「元カノ・元カレ知らないしなあ、あーダイジョウブかなあ」などと考える人はいたんじゃないかとおもうのです。たぶん疑心暗偽というか「ほんとのところはどうなるかわからない」というときに信用というのが必要で、おそろしいことに信用というのは確認しにくくて目に見えないものであってひどく崩れやすい、もろいものなんじゃないか、などとあらためて思うのですけども。


どう考えても全額は返せない債務を何割か棒引きしても借りた金を返せない信用のない相手に率先して誰もあらたに金を貸せないだろうしなあ、かといって見殺しにもできないだろうしなあ、難しいよなあ、というのと、どうなっちゃうんだろうという疑心暗疑を補完するのが信用で、その信用というのは作り出すのは簡単にはひねり出せないから大変だろうなあ、などと新聞読みながらぼんやり考えていたのですが頭の中がまとまりませんでした。