財政とかの話をちょっとおいかけておきます。
まず国債とはなにかというと利子の支払いを前提にした国家の借金証書・債券です。会社(たとえば近鉄)も社債・債券を発行しますが、会社の社債の場合その会社の売上(近鉄であれば特急料金・運賃等)から弁済します。社債を発行しておき弁済できなかったら悲劇です。しかしそのぶん利率は悪くありません。社債の場合は設備投資などに振り向けられ(新型特急の導入など)ます。国債の場合は税金から弁済する前提で国道や裁判所の建物等に化けます。国道や裁判所は収益をあげることが難しいので60年償還ルールです。首相官邸は2002年築ですが建設費をすべてチャラにするにはあと50年くらいかかります。で、国債の場合は国民の税金によって弁済するので国債の発行残高が増えると、将来の税負担も増大していかざるをえなくなります。それを避けるには国道を有料化すればいいですが、そんなことはできません。でも必要なものですから作らないといけません。かといって将来のことを考えるとあれもこれもとそんなに一気にはできません。で、国債というのは限度を超えた国債の増発を防ぐために、国債の市中消化を原則にしてきました。国債を民間に引き受けてもらい、国債の発行を民間の金融市場に滞留する資金の範囲内に閉じこめておくことができるからです。もうひとつメリットがあるとすれば市場での取引価格というのがあるので、不当な価格の債券を発行できないところです。
過去には中央銀行が国債を引き受けてた歴史があります。そのメリットは市中から資金を調達しないで中央銀行と政府が決めればそのぶん紙幣を刷れば事足りる容易さです。中央銀行を国債の消化機関にしてしまうとやろうと思えばほとんど無制限に国債を増発することができます。政府の発行する国債をいくらでも買い取る中央銀行にするとその買い取った金額を財政資金として政府に提供でき予算が増えなんでもできます。が、それをやってしまうと国債残高は増えますし同時に通貨供給量が増えはじめ、通貨の価値が下がります。戦前のドイツは中央銀行が国債引き受けを行い通貨の供給量を増やし、経済がコントロールできないところまで追い込まれ、通貨の切り替えを行いますがドイツ経済の混乱が排他主義・全体主義の台頭を許します。ですからドイツは中央銀行の政権からの独立性というのを重視するようになりました。
中央銀行が国債を引き受ける、ということを過去に日本もしてきたことがあります。戦前の日本では最初は高橋是清という蔵相が第一次大戦後の恐慌のあとの景気回復のために多額の国債の発行を決断し、市中に国債引き受けの資金がないなら(市中消化できないなら)日銀が引受なきゃ誰が引き受けるの、ってんで、いったん引き受けさせました。いったん日銀に引き受けさせておき景気回復を行ったうえで市中で売却させ、さらに国債発行残高を減らして金融の引き締めを行う腹積もりでしたが、二・二六事件で高橋蔵相が暗殺されこの目論見は失敗に終わります。高橋蔵相時代の日銀保有の国債は市中に徐々に売却はしたものの、日本の悲劇はコントローラーを失うと「過去にやったからいいでしょ」ということが通じてしまうところで、こんどは戦費調達のための国債発行につながります。この戦前の国債の日銀引受は1932年から1947年までしばらく続きます。戦争を経て、戦後に新円切り替え等その処理に追われた過去があります。
戦後日銀は戦前の経過からなるべく政府と距離をとるようになります。国債の引き受けはいまはしていません。でもいま日銀は国債を持っていないか、と云ったらそんなことはありません。日銀の買いオペというのがありまして、民間銀行保有の国債を日銀が買い取る制度があります。日銀から民間銀行に対して買い取った金額分の資金が民間銀行に供給されることで、市中に流れる資金の量をコントロールすることが日銀の業務です。業務の都合で日銀は国債を持っています。買った国債を売却することもあり得ますが、民間銀行から買った国債の満期(10年)が来た時点で(60年償還ルールがあるので借り換えをする必要があるのですが)その借換国債の引き受けを国会の議決を経て一部だけ行っています(2011年末で11兆ほど)。でもっていまある日銀の国債は過去の予算で足らない借金の債券です。で、現在の日銀と戦前との違いは、過去の年の予算で計上して足らない部分の国債を直接引き受けてるかどうかの差です。今年足らない予算の資金補充機能がない、ということが重要です。
ただ、その差がわかりにくいので「政府が発行した国債をそのまま日銀が引き受けてくれたっていいじゃないか」という人が出てきます。地震の後もそうでしたが、いまもまたそういうことをいう人がいます。不景気でも自由に予算が組めますから、云いたくなる気持ちもわかりますが、しかしそれをやって巧くいくかどうかはわかりません。歴史上は失敗のほうが多いです。ちょっとくらい良いでしょう、というとそのあとがなし崩し的になってしまう男が信頼できるか、ということもあるんすが、それよりなにより(えっちと)借金と国債は同じで、やれると思ってがんがんやってしまうと最後のほうが(体力が尽きて)大変です。借金は返せてるうちは怖くなく、あとあとになって返せなくなったときが怖い・大変なのです。
もし大学受験相当の歴史の知識があったら国債の中央銀行引き受けなんてことはあまり軽々しくいわないと思うのですが、あえて無視してるか歴史を知らないかのどちらかです。
人は恐怖を経験して文書に残したり口伝したりしておそらく歴史という名前で名を残し、伝えることで失敗につながる行動をセーブさせようとします。歴史は紐解けば過去のデータだったりするんすけど、歴史ってほんとは重要だと思うのですが、そこらへん重要視されないのがこの国の浅いところなのかもしれません。History repeats itselfってのがありますが、もしかしたらほんとにそうなるのかもなんすが。