地蔵坂へ

地震の起きる30秒前に目が覚める、という履歴書に書けない特技が私にはあるんすが、今日もそのパターンで、朝5時過ぎに目が覚めた後に地震がきて、目の前の本棚が倒れたら起きよう、と決意して、倒れなかったのでそのまま二度寝しました。こういうやつはたぶん地震で圧死するかもしれません。


目的地は別のところだったんすけど、都営地下鉄の一日乗車券を買ってて、で(なにが「で」なのかわかりませんが)大江戸線牛込神楽坂駅で下車。

駅前にあるのが袖摺坂です。すれ違う人の着物の袖がふれあうほどの狭い坂。牛込神楽坂という坂や地名があるわけでもありませんで、このあたりは箪笥町という名前です。箪笥といっても武具を収納する箪笥のほうで下級武士が住んでいたエリアです。なんでそんなところに袖が触れ合うほど人がいたのかといえば、すぐそばに弁天さんを祀った南蔵院という寺があって前はそこの参詣者が多かったからなんすけど。

となりの石積はトイレ(ブラタモリの中で坂の下の糞、といってたところ)です。
この坂が出てくるブラタモリの回の中では古地図に載ってる「ごみざか」を探してたのですが、それと思しき坂は平坦なようにみえる左側です。右の下り坂(大久保通)は弁天坂という名前がついてます。


袖摺坂のそばにあるのが

地蔵坂です(俗称「わらさか」)。漱石の「それから」の代助がいたところです。漱石はとなりの早稲田に住んでからはここら辺までよく散歩に来てたらしく、坂を下りたところは神楽坂上で、相馬屋という漱石御用達の文具店があります。坂道ってのは、文学を書く上でなにか刺激を与えるんすかね。そんなことないか。
神楽坂の毘沙門天。縁日で鯉をひっかけたけど、落ちちまって惜しい、っていう坊ちゃんの中に出てくる話はここでのことなんすけど、その惜しさが手に取るようにわかるので、漱石ってすげーと思うと同時に、脳内で思考が暴走するを抑制しながら実感をひどく大事にした人なのだろうかと思うのですが、研究家でもない分際でそんなおおそれた話は別として。でも「それから」の最初のほうに出てくる右の手を心臓の上に載せて血の音を確かめながら眠るとか、そういうのを見るとやはりなんとなくそう思っちまうのですが。

毘沙門天前のせんべいやさんです。筆記体だと正直なにが書いてあるのかわからないのですが「毘沙門せんべい」のはずっす。けっこうおいしいお店です(ただし日曜は休み)。先代の勘三郎丈がここの焦げたせんべいを贔屓にしてて、勘三郎せんべいというのがあります。手土産かわりに買おうとしてたので、ちょっと残念。

でもってほんとの神楽坂。下りたところに飯田橋駅と坊ちゃんが通った物理学校(東京理科大)があります。街路樹が植えてあるのは坂を上る人のための木陰を作るためかなあ、と。あると無いとではなんか違うな、とほんと夏になると体感できます。


ところでこの夏幸いにも計画停電は回避できたのでひと安心なんすが、まだ節電対応ってのは東京では継続されてます。

大江戸線飯田橋駅はこんな感じっす。ちょっと暗いかなーと思いつつも慣れてきてるのでもう全然違和感がありません。逆に全照明がついたらムダと思うかも。
慣れって、なんか不思議っすね。