北海道

○遡及日誌1日目

札幌から特急で五時間ほどのオホーツク海に面した網走を経て斜里という町へ。そばの女満別まで東京から直行便がありますけどもいかんせん高かったので列車で入りました。恥ずかしながらちょっとだけ仕事の疲れが残ってて網走行き特急に乗った後、うとうとしちまいちょっと失敗。ほんとは雄大な景色を楽しむつもりだったんすが。この日はほんと移動とうたた寝に費やした一日になっちまいました。写真は斜里へ向かう普通列車から撮った車窓で見える水面はトウフツ湖という湖です。
網走からさらに普通に乗り換え斜里を経由してバスで知床へ入りました。

○遡及日誌2日目
泊まったのは岩尾別というところの、森の中のケイタイも通じない、一軒宿です。宿以外には同じ川べりにさけ・ますのふ化場があるだけ。

朝ごはんを食べた後散策してたら、孵化場の向こうに海が見えるので行けるのかなー、と道を進むと、立ち入り禁止のマークがありました(さけ・ますが遡上してくる川べりで、それを捕獲して孵化するための施設があるくらいなので熊にとっても好漁場であるはずなので、たぶん原則立ち入り禁止なのかなー、と)。宿で一応熊が出たときのレクチャーってのも受けたんすけど、やはり熊は怖いので無理には進まず。


岩尾別からバスに乗って移動。まず向かったのは知床五湖です。

ほんとは知床の山々が見えるはず、という展望台です。ちょい、残念。

反対側はオホーツクの海。樹木がないのはなぜかっていうと、一度ここらへん、開拓され牧場になってたのです。でもあまりにも気候が厳しいので離農せざるを得ず、今に至ります。現在も冬の間は知床五湖周辺の道路は閉鎖されます(孵化場のある岩尾別までは除雪車が通る)。知床という地名はシリエトクというアイヌ語から来てて【地のはて】という意味ですけど人が生きていくには苛酷な環境だったりします。


比較的大きな湖は五つ。

まず、一湖。湖っていっても、上野の不忍池より小さいかもしれません。ここだけ、魚がいます。開拓時に入植者が放流した魚が生き残ってるのです。人間はダメでしたけど、魚は生き残ってたわけっす。一湖に限らず、五つ湖に流入する川はありません。雲に隠れて見えませんが硫黄岳という火山の溶岩が岩盤の上に堆積し、その地層を流れる水が湧き出してる、といわれてます。流出する小川はないわけではないですが、ほとんどが湖底の岩をつたい、知床半島の断崖にしみ出しているとも。

で、二湖。さきほど熊の話をちょっと書きましたが、知床は熊の多いところです。でもって、このあたりも出ます。熊が出ると一応規制をかけるのですが、その場合、この二湖までになります。行った日の朝まで規制がかかってました。事前に「熊と出会ったら刺激しないように。彼らは足が速くて追って来たら早いですから逃げ切れませんよ、時速50キロはでます」ってなことをいわれてて、規制は解除されたもののいつ出てもおかしくはないってのは判ってたのでどうしようかなー、と思ってたんすけど出たら出たでしょうがねーや、と思って直進。東京から持参した小さな鈴を鳴らして歩いてました。ちなみに現地では大きな鈴もレンタルも可能です。

ちょっとすげーや、と思わず立ち止まってしまったのが三湖。

さらにそのあとエゾシカあらわる。子供かな?

黙ってその場で傍観してたらどこからかでてきた、エゾシカのご一行様。ちょっと動けずにその場で静かにしてました。

さらに進んで遭遇した、名も無い、原生林の中の小さな池。

四湖です。やはり雲に隠れてしまっていますが、右手には硫黄山という活火山があります。

そして五湖。
ここには無数の青いトンボの大群がいました。あちこちでトンボが交尾をし、さらに飛び回り、そしてトンボが湖面に着水するたびに小波がおき、それが雨粒が降ったあとのように感じられるのですが、その数が一分間にたぶん百以上ありました。トンボっていろんなところで見てきたのですが、見た目でざっくり200以上はいそうなトンボの大群をみたのははじめてだったのでほんと呆然と立ち尽くしてました(たぶん目を丸くしてポカンと口をひらいてたと思う)。そばにいたイケメンの大学生と二人して馬鹿みたいに湖面を眺めながら「なんかほんとすごいですねー」なんて云ってたのですが、自然ってのは、ほんとすごいっす(すごい、しかいってないっすけど、語彙の無さを恥じ入るばかりっす)。

シカを見ておきながら、知床五湖レストハウスで昼飯に食べたのが鹿肉バーガー(シカは定期的に駆除してるようです)。美味かったす。


知床五湖からさらに奥にはいりました。途中、キタキツネに遭遇。

バスの終点がカムイワッカ湯の滝。さきほど硫黄山という活火山のことを書きましたけど、その活火山のせいで温泉が湧き、さらに川に流れ込むことによって、温泉の滝になってます。以前はもうちょっと先まで行けたそうですが、いまはバス停から100メートルほどしか沢登りはできません(監視員の人がいます)。ほんと流れてくる水が生暖かったっす。

でもって調子に乗って靴ぬいで歩いたんすけど、しばらくしてからヒリヒリしてきた(どうもpHの値が強いらしい)。
このあと、フレペの滝というところへ。



フレペの滝です。地上からはちょっと確認しにくい滝です。
フレペというのはアイヌ語で赤い水という意味です。断崖絶壁の途中から水が湧き出し、海面に落下します。およそ100メートルの断崖です。私は船に乗ってないので伝聞推定ですが、船から見ると知床ってのは断崖がずっと続くらしいです。
別名、乙女の涙ともいいます。で、U字状の奥まった場所からして別の意味にとっちまったんすが、そういういみではないようです。

でもってこんなような誰もいない道を歩てると、

目の前にシカがでてくるんすよ。知床ってそんなところです。目があったあとシカのかもし出す空気を読んで、カメラを出す前に立ち止まって数歩下がったら、シカもどこかへ消えて行きました。写真は消えてゆくときのもの。さらにもう一回、このあたりで遭遇してて、通りすがりのガイドさんと雑談ついでに「知床のシカも物怖じしないっすね」といったら「そもそもここらへんはシカの領域だから」という至極あたりまえな答えが返ってきました。シカの領域って発想が頭の中になかったので、妙に印象的だったです。
知床というのは、基本的には動物の領域に人間が入り込んでいるということになるのがなんとなく理解できました。開拓の歴史って言っても明治以降の話です。その前から千年以上、熊や鹿や狐が縦横無尽に走り回ってた地域なんすよね。人なんて、自然の中ではちっぽけな存在なのかもしれません。至極あたりまえのことなんすけど、都会にいるせいか、そんなこともすぐにはわからなかったです。


フレペの滝のそばの自然センタへ立ち寄り、お勉強。で、幸か不幸か熊に出会わずに済んだので、剥製と対面。後ろの人形と比較してもでかいっす。

リアルに目撃しなかったものの三湖のそばで、したてのフンだけは目撃しました。紫色の、アリを食べた後のフンです。自然センタに摂取物による熊のフンの色の違いの見分け方について解説があったので、あああれはそうだったのか、と、わかったんすが。ひょっとしたら気がつかなかっただけで、そばに居たのかもしれません。
自然保護センタで同じ宿に泊まってた、知床峠というこれから行こうと思ってたところから帰ってきた人から状況を聞き、霧の中と聞いて行くのを断念。
斜里に戻り、釧網本線を南下します。


途中、立ち寄ったのが屈斜路湖のそばの硫黄山アトサヌプリ)という活火山。鼻をつく、硫黄のにおいがすごかったです。

なぜって、あちこちで硫黄分を含んだ水蒸気があがってたからなんすが。

やっぱり地球って生きてるんだなあ、ってことを改めて確認。

この日は釧路市に投宿。
○遡及日誌第3日目

泊まってたのは釧路湿原の中の宿でした。ほんとはここでカヌーを申し込んでて、カヌーで釧路湿原を探索するつもりだったんすが、夜半過ぎから生憎の雨。朝になってもあがらず、むしろ雨足は強くなる一方。カヌーをあきらめてため息をつきながら撮った一枚。そのまま札幌なり夕張なりへ行くことも考えたのですが、釧路湿原探索を個人的にメインイベントと考えてたのでそれも惜しく、地図を片手に善後策を検討。嘆いてても仕方ないのでせめて歩けそうなところを歩くことに。
雨がいくらか弱くなった時点で駅へ。同じ宿に泊まってた外人さん数人(外人さんって不思議と朝が早い気がする)が先客としていました。挨拶してから天候の話と作物の話をしてた記憶があります。冷静に考えると道東の無人駅で朝もはよから外人さんとおしゃべりしなくてもよさそうなんすけど、どうも沈黙が耐えられなかったり。
始発列車で、二駅先で途中下車。
道路を歩くよりも森の中のほうが雨風は弱いってのを体験的に知ってるので森の中の道を行き、展望台のある丘へ登ります。
そして振り返るとこんな景色。

ただただ広い釧路湿原が眼下に広がってました。思わず「おおー」と声をあげちまい先にそこに居た人に少しわらわれちまったんすけど。かなりの雨風があってガスがかかってる状態なので、いまいち眺めはクリアではないので恐縮です。
蛇行してるのが釧路川です。この釧路川ってのは治水の必要がほとんどありません。上流でいくら雨が降っても釧路湿原が調節池の役割を果たしなんとかしてるので、下流にある釧路市の旧市街地は洪水の被害はありません。そんな手付かずの川なので自然がそのまま残ってますしほとんど手が加えられてないのでカヌーで下るにはけっこう良いエリアだったりします。カヌーにのれないのがほんと残念。


このあといったん釧路市内へ出て、さきほどとは反対のほうへまわります。なにも反対方向から見る必要あるか、っていったらありません。でも、どうしても見たくなっちまったというか。

ほんと、広いっす。
展望台から降りて、湿原とおなじレベルへ。

こんな風景です。40年くらい前は現役だった馬車軌道の路線敷を散策できるようになってて6キロ歩くつもりだったんすが、どんどん霧が濃くなったのでやむなく撤退。ただ、森のなかの道を戻る途中、霧がたちこめてきてちょっと幻想的でした。
ひょっとしたらすごい体験をさせてもらったのかもしれませんが。


釧路の話をちょっとだけ。行った日の朝は17度でした。でもって、予め渡道する前に「夏の北海道は涼しいよー」なんて勤務先で云われてたんすが、ジャケットにタートルネック姿でもほんと涼しかったです。ただ今年は冷夏で、道東や道北では麦の生育に影響が出てるなんてことも問わず語りで聞きました(なんでそんなことを教えてくれたのかわかりませんが)。釧路市北部では夏は一日しかなかったとのこと。この場合の夏は最高気温が25度を越した日のことです。もっとも、25度を越えると役所は仕事になんないんだとか。ほんとかどうかわかりませんが。ちなみに普通列車には冷房がありません。扇風機がかかっててましたけど、その風が寒いくらい。夏はエアコンも不要で網戸さえあればなんとかなる地域も多いみたいっす(逆に網戸がないと湿原のせいで虫が多いので困るらしい)。


釧路市内に戻り幣舞橋やフィッシャーマンズワーフを見学したあと、宿で一緒だった人の勧めで釧路和商という公設市場のようなところへ。ここの名物が勝手丼というシステムで、ご飯やさんでご飯と買うと、市場内の各店で好きな具材をトッピングできるシステムがあるのです。でもって私はご飯の他にこの地方の名物らしいザンギという鶏の揚げ物(でもから揚げじゃないらしい)イカ、サンマ、サーモン、トロの刺身を買って弁当に仕立ててもらい札幌行きの特急に持ち込みました。魚屋さんがなぜかちょっとまけてくれたので、トータルで確か600円強くらい。ビールは道内限定のサッポロクラッシック。

この日はすこし贅沢なお昼になりました。


夕刻、札幌に到着。

車窓から牧場が何回かみえて、干し草の塊がいくつも転がってるのを見てたんすが、なぜか大通公園にもありました。遠くで見るのと近くで見るのとは大違い。けっこう大きいです。ダイブしたらさぞかし気持ちよさそうっす。

そして大通公園の夕暮れ。この日は札幌に宿泊。ジンギスカンを食べた後、ちょっと痛飲。
○遡及日誌4日目
札幌は何度か来てますが、名所は時計台と道庁くらいしかしりません。専攻の分野の勉強できたときは市内の大学と宿泊先を市電と地下鉄で往復する毎日でしたし、数年前に来たときは相手がいて小樽へいったりしてたので、今回はじめて札幌をまともに観光します。
でもって、最初の目的地は南区のサッポロピリカコタン。

北海道の先住民であるアイヌ民族の資料館です。けっこう興味深い展示物があったのですが、いくつかピックアップ。なお、ここの展示物は触るのも撮影もオッケイっす。

樹皮でできてる着物、アットウシ。袖や裾の独特の文様は魔よけという説があります。札幌近辺ではそうなのですが、他所は意味合いがちょっと違う場合があるようなのです。またこれは札幌近辺の意匠や色づかいであって、旭川や阿寒のほうだとまったく違ってくるらしい。

オヒョウという木の皮をはいで

糸にして、それを編んで作ったわけっす。
屋外には建築物等があります。

ポロチセ。ポロは大きな、チセというのは家、です。集落の中には大きな家があって、集落のまとめ役が住んだり集会所の機能を果たしてました。で、この建物はかやぶきなのですが札幌がたまたまかやぶきなだけで、旭川はササです。道内の一部では樹皮でできたものも有るようです。
この建物を見学してるときにピリカコタンで働いてるアイヌの方から偶然お話しをうかがうことができました。みんなアイヌってひとくくりにするんだけど旭川や札幌、十勝じゃ違いがあって、必ずしも同じとは限らないんだよ、ってなことをおっしゃってました。
もうひとつ、書いておかねばならぬかなーってのは、このアイヌの建物を作る技術を習得してる人ってのは道内で8人くらいしかいなくなってしまったそうなのです。少数民族ってのは多数派のなかで独自の文化を継承してゆくのが困難なんすけど、実例を見聞きして少数民族固有の文化をどうやって守るのか、正直考えたほうがいい時期に来てるのかな、なんて思いました。

チセは道内どこでも構造は同じです。必ず東側に窓があり、カムイ(神)が出入りすると言われてます。写真正面の窓がそれに当たります。そこから真ん中までは神様が通るところなのでなるべく足を踏み入れてはいけないとされてて、また女性は行ってはいけないゾーンになってます。で、中央には炉があります。で、炉の中には、アペフチカムイという火の神がいると考えられてて無事に暮らせるよう見守っていると信じられていました。このアペフチカムイって火の神様はけっこう重要らしくいちばん最初に祈りをささげる対象だったようです。

窓の外にはそこの山の神様や確か記憶に間違えなければシマフクロウの神様他多くの神様が祀られてます(この祀るというのが適当なのか自信がちょっとないっす)。

家の中の神様、チセコロカムイがいるところ。この木でできたものはイナウっていうのですが、御幣のような神様のよりしろのような、でもって供物の意味も持ちます。

神様が出入りする窓の横に宝物置き場があるんすが、そこに沢山のイナウがあります。毎年一個ずつ増えます。年一回、神様にここで過ごせたことを感謝したもの。

捕獲した子熊を入れておく檻。


アイヌの人たちは自分たちの住むところにやってくる熊をはじめとした動物や植物、作った道具、家、津波地震などの天変地異や病気には【ラマッ】っていう霊(魂が近いかも)があると考えてて、【ラマッ】が存在する世界からそれぞれが役割を持って現世へやってきて役割を果たし、任務を終えると再び戻ってく、って言う発想をもってます。動植物や道具類や事象に対しての儀礼がけっこう大切な行事だったようです。
ここらへんアイヌの人たちをちょっと理解する上でキモだと思ってますが、完全にはアイヌの人の世界観・価値観が理解できてないと思うので、ひょっとしたら間違ってるかも。
で、熊はアイヌの人たちに皮や肉を与えてくれるのですが、自分たちのいる世界から【ラマッ】のある世界へ熊を戻す儀礼(霊送り)をしてました。その霊送りの儀礼がよく知られてる「イヨマンテ」です。熊に限らずシマフクロウの霊送りもあったとか。


同じ南区の定山渓温泉へ。
いじめられてる定山渓に住む人魚姫の写真を激写!

ってのは嘘で、源泉公園のモニュメント清掃中のときのひとコマ。流れてる水はもちろん温泉です。したがってこの人魚、温泉に浸かってます。たぶん日本でいちばん贅沢な人魚姫です。
どうでもいいですが、なんで日本人って水が流れたりたまるところに小銭を入れるんすかね。やはりローマの休日の影響なのか。


定山渓温泉でひと風呂浴びた後は北区の北海道大学へ。

これ、北大構内なんすけど、サクシュコトニ川という小川が流れてその脇は芝生。学生がその芝生の上で昼寝してたりします。東京の狭いキャンパスの私大出身者にはほんとうらやましい環境っす。

釧路の宿で同室だった人から強く薦められた北大生協食堂名物牛とろ丼。生協員じゃなくても誰でも食べることができるみたいっす。あったかいご飯の上に十勝から直送のミンチ状の生の牛肉がわさびしょうゆ味のたれとともに載ってます。Sサイズで370円。ほんとうらやま(ry

有名なポプラ並木。ほんとは防風林なんすけど肝心かなめのポプラはほんとは腐りやすくて風に弱いっていう、よくわからない存在なんすが、そこは北海道大学、明治から続くこのポプラ並木を英知を結集していまでも維持してます。

北大博物館っす。行ったときはテーマとして分類学に関する展示をやってました。植物・昆虫や無脊椎生物ほか、北海道に生息する生物の標本がこれでもか、ってなぐらいあります。興味深いなーと思ったのがカタツムリ(だったとおもうのです)が、北海道を基点にサハリンと千島へは違う進化を遂げてったりとか、実物をもとに生物がいかに多様性をもってるかってのを垣間見させてもらいました。
他、有珠山の研究ってのも面白かったんすが、北海道やオホーツク圏の民族の研究を興味深く見学しましたです。樺太アイヌの人の伝承の民話の録音物の展示なんてのもやってました。アイヌの人たちは独自の文字がないので紙ではなく代々口で伝えられてた民話です。それ聞いててつくづく思ったんすけど、録音されたものなんかは韻律を踏んでて、音の遊びみたいなものがあったんすよ。文学史や文学って門外漢ですが、詩とか文学の一番最初って、そういう音の楽しみみたいなところからはじまったんじゃないかなー、民族が違うからそう考えるのはひょっとしたら危険だけど、韻律を踏むとかの音の快感や楽しみって民族を越えるのかなー、なんてぼんやり考えてました。


札幌といったら、サッポロビールを外せません。そもそもサッポロビールは札幌が創業の地で、北大のそばに博物館があります。そこを見学。旅の最後にビールを飲んできました。


駆け足で北海道をみて廻って来ました。今回の旅、物見遊山に終わっちまった気がします。ただ、個人的にはかなり刺激を受けましたし羽根を伸ばしてきたんすけども。
なにか発見したかっていったら、ほんと月並みですが自然の大きさ・懐深さかな、と思います。それと自分の知ってる・目に見えてる・理解してる世界はほんと限られてて、それとは違う世界が厳然と存在する、ってことを改めて思い知りました。
ひょっとしたらそれだけ知っただけでももうけものなのかもしれませんが。