♪幸せってなんだあっけ?なんだあっけ?
♪ポン酢しょうゆのあるうちさ



阪神が優勝して、カーネルサンダースが道頓堀に投げ込まれた後だったと思うのですが、明石家さんまがこう歌いながら、キッコーマンのポン酢しょうゆのCMをやっていました。けっこうながいことこの曲は頭の中に引っかかっていて、なにがこんなに引っかかるのか個人的には謎だったのです。
で、冗談のような問い→冗談のようでそうでない事実、という展開なのです。これ。最初の「幸せってなんだっけ?」というのも誰もが考える真剣な問いかもしれませんけども、さんまによるおよそ冗談のような問いの「幸せって何だっけ?」に対して、冗談のように「ポン酢しょうゆのあるうちさ」誰もが納得しそうな突っ込みどころのない答をだして、最後に実在する商品名を出して終わらせるというスタイルがなんか微妙に気になってたのです。
冗談で始まって、ほんとのことで終わるというスタイルですね。



暫くして、ああそうか、冗談のような文章でも最後さえきちんとしてれば印象が変わるんだということに気がつきました。ポン酢しょうゆに対する違和感というか、なんとなく印象に残ってたのは、ようは、この作品が単純でない構造を持ってたからだとおもいます。




実は一番最後の言葉ってのは、印象に残りやすいのではないでしょうか。


たとえばの話、議論が紛糾して結論が出なくても、「一歩前進したね」とでも誰かが言えば、事実はそうでなくても、なんとなく前進した印象を共有できるものだとおもうのです。
もっと言えば、デートでも会食でも盛り上がらなかったり本当に楽しくても、それがうまく表現できなくても最後に「今日は楽しかったよー」とでも言えば事実はどうあれ?なんとなく印象は変わるとおもいます。というか、沈黙や表情から意味を取ってしまう悲しい性を人間は持ってる気がするので、言葉は尽くしたほうがいいのではないかと思えるときがあります。
人にダメージを与えるならば、逆に最後に皮肉を云えばいいわけです。ファッションセンスを誉めておいて
「お姐さん、お化粧ほんまに綺麗どすなあ」
とか。


たまに、なんかこう、別の言い方あるだろーによ、とか、不毛だなあ、というときは大抵言葉が足らないときであるような気がします。自戒をこめてそうおもいます。何か云えばいいというものでないにせよ、なんかこう、前向きの言葉が足らないとき、空気がよどんでいく気がします。
なんとなく昼飯食いながら、そんなことを漠然と考えてました。

えっと、これって夜にも使えるとおもうんですよ。
「今夜は良かったよ」
とでもささやけば普通は、誰だって頑張ると思うんです。次回。