最初に断定がある語法

清水に行くと鈴与という会社があります。清水では誰もが知ってる物流の会社です。鈴与が公的な補助金を受けてて、しかし鈴与は同時に静岡県選出の大臣の政治団体に寄付をしていた、ということが以前問題になりました。条文上は補助金交付を知らなかったら罪に問われない構造になってるので、「知らなかった」ということになっています。安倍さんという人がおっかないなあ、と思うのは「知らなかった」ことを基に「違法行為ではないことはあきらか」として更迭もせず、問題にしなかったことです。繰り返しますが結果として法には触れません。でも税金・公的補助金の投与先が政治家に資金を供与することを防止することを政治資金規正法の一部の条文は要請してるわけです。結果として法には触れなくても道義的なものは残ります。それを問題にしないということは襟を正すとか範を示すとかの道義がないか、最初に結論があって道義を無視したか、のどちらかです。
でもって、この国では衆院には予算や条約の先議であるとか内閣総理大臣の指名に関して衆議院の優越があります。衆参どっちがエライってことはないのですが、参院は解散がありませんが衆院は解散がありえるので国民の意思が反映されやすいから、というところからきています。消費税の増税を延期する・時期が来たら税をあげることについて約束し信を問うといって一度衆院を解散しておいて、「新しい判断」というのでその延期を再延期するのなら普通は衆院を解散するのかなあと考えたのですが、でも衆院は解散されませんでした。つまるところ、言葉というか約束が軽いのです。
事例が少ないものの二つの事例からすると安倍さんという人の思考パターンは、最初に「問題にしない」とか「延期する」などの断定が先にあって、その断定があるので道義も約束も関係ないのだな、というのがなんとなくおぼろげながら見えてきます。
11日付毎日東京版の夕刊が「安倍語」と題して安倍首相の答弁を取り上げていました。紙面で紹介していた予算委のやり取りで興味深いのはテロ等準備罪の審議において「テロ対策は現行法で対応可能」という指摘に対して「テロ対策の穴を埋めなくても五輪を開けばいい、という考え方をとらない」という答弁だったようで、ずれているという指摘をしてるのですが、先にあげた事例から類推して個人的な見解を書いておけばおそらく最初に「五輪のためにテロ等準備罪が必要」という断定があってそれが結論で、断定ゆえに具体的説明が続かないのではないかと思っています。結果としてずれてるよくわからない答弁になる。
問いに対して最初に断定がある語法というか、問いに対してその返答に断定があって断定ゆえに結論以外の説明が続かないことが、実のところ日本語というか日本語の文法的に正しいのかどうか正直私は文学部卒ではないのでヘタなことは云えないのですが、文法的・政治的なことを抜きにして漠然と日本語がなんか変だよな、という印象が拭えなかったり。私もえてして日本語が不自由なのですが「ああいうふうにならんとこ」という反面教師的に眺めてるのですが。