数日前に何の気無しに共謀罪のことを書いたのですが、そのときに強制わいせつについて例を出したのですが、考えてみれば強制わいせつというのも、実はけっこう厄介な問題があるのです。
強制わいせつはよく痴漢行為のときにでてくるんですが、一般的に性的自由や羞恥心が保護法益です。強制わいせつを規定する176条は条文中暴行脅迫という字があるんですが、反抗を困難にするほどの暴行を必須としておりません。股間を揉んだ、とかでも成立します。ついでに少年の肛門に異物を挿入するのも傷害でなく強制わいせつとして処理されてます。
で、判例上は強制的にわいせつな行為をしているという行為者の認識に加えて行為者の性的意図(主観的超過要素。わいせつの傾向というか、性的興奮や満足ですね)をも要求しています。被害者に犯人の性的意図の存在が明らかであるときにそうでない場合に比べて被害者の性的自由の侵害が著しいと考える、というのもわからないでもないです。
ただ、学説上異論はありまして山口厚先生なんかは

強制わいせつ罪の保護法益である「性的自由」は、行為者の「性的意図」とは無関係に侵害されるから、このようなものを強制わいせつ罪の成立要件とすることは妥当でなく

という説です。わたしも個人的にはこの説が妥当であると考えるのですが。

えっとつまり判例にしたがえば、美少年の股間を揉む、という行為が客観的にわいせつであることに加えて、さらに行為者に主観的にわいせつな傾向がないと強制わいせつは成立しないのですが、わいせつの目的とか内心の傾向は明確でなく漠然としていますし、心中の無意識の世界に立ち入って判断せざるを得ず、証明も困難だとおもいます。なるほどそういう多少危ない傾向を持つ人間(傾向犯)がいるのならつかまえて処罰すべき、というのはわかるのですが条文にはその規定はありませんし(その考えが共謀罪にも影響してる考えなのかもしれませんけど)いまの判例にはなんとなく違和感がありますし正直どんなものかとは思うのです。えっと、泌尿器科医師の診療行為と単に痴漢との区別という点とかで確かにわいせつ傾向の有無というのは区別として有用かもしれないのですが、わいせつ傾向を要件とすると内心に多少のわいせつ傾向のある医師(こじつけに近いかも)を考えると股間に触れるその医療行為も当てはまりかねず、また医療行為とわいせつ行為はそもそも外形的にも一応区別しやすいとおもうのです。
私は被害者が医療行為以外で恥ずかしい思いをすれば法益侵害があって、犯人が被害者の性的羞恥心を害することを認識していれば従前どうおもっていたかは違法性に関してあまり重要でなくてもよい、というふうに考えるのですが。
私は法曹の人間ではありませんからこの判例を変える力はありません。


(念のため申し添えますが別に、痴漢行為で捕まった過去があるわけではないですよ)

以下雑感
共謀罪は強制わいせつでも引っかかるんですが、でもなんで共謀罪が強制わいせつと関連してくるんだろう?強制わいせつは忌むべきものかもしれないし痴漢は薦められる行為ではありませんが。確かに児童買春等を考えると組織的な犯罪集団に対しての武器として法律が必要なのかな?ともおもうのですが。
ただ実行に移さぬ限り内心にとどまるならどういう妄想をしようともそれは自由であるべきだとはおもうのです。
繰り返しになりますが共謀罪は単に関係者の「合意」だけで犯罪が成立するとされていますから、準備行為や合意を推進する行為を要求していないわけです。いままで刑法で原則として要求されてきた「実行行為」が不要とされるばかりか、完全に処罰の対象外とされてきた外形的行為が存在しない単なる意思の形成のみの段階での犯罪化を事実上容認する内容と条文上なっているわけです。どうやって実務で立証していくのかわかりませんけど。


(常日頃いやらしい想像をしていきてるわけではないですよ)