借金をしたとき書面を作ります。いわゆる借用書というやつです。二枚作って印紙を張り印を押して一枚借入先に交付したり、一枚だったら原本を借入先に差し入れ原本のコピーをとって手元に残します。なんでそんなことをするかといえばトラブル回避と資金の調達先はどこですかと問われたときに税務署を含めた第三者にわかるようにする意味があります。しなくちゃいけないことではありません。でも社会人としてしておいたほうがよい基礎的な知識です。2億だか5億だかを借りて、一回は借用書を交付したけど一回は前回の借用書の内容を準用した、と聞いてニュースでちら見をしていたのですが、借用書の内容を準用するというのが斬新で、準用して書面を作らずに印紙を貼らなくても問題はないかといえば効力にはさして問題はないのですけど、万一税務署の調査なりが入ったときに借用書がないということは贈与と違うことをどうやって証明するのだろうとか頭の固い一般常識が欠けてるサラリーマンは考えちまうのですが、そこらへん興味は尽きません。
テレビを視聴して印象的だったのは質疑応答があってもなんとなくどこかへんなのです。質疑応答になってるかといえばなってるんだけど「問題はない」という断定というか結論があってその断定と結論以外ないのです。金銭貸借において、取引書面に印紙を貼ることを定めた印紙税法はあっても借金するのに借用書を作成しなくちゃいけない法ってのはありませんから借金のときに借用書を作んなくても「問題ない」といわれたら確かに問題はないのです。つまり「しなければならないとかかれてない」ことを「してない」場合に問題があるかといったらたしかに問題はないのです。が、明文に規定はないけど(借用書作成交付と印紙貼付という)「したほうがいい基礎的なこと」ことを「してない」という告白は、したほうが良い基礎的なことすらできてないという点で対外的に信用を無くしかねないので「問題がない」わけでもないのです。ただ「問題がない」という発話者の断定があってそれに終始し結論のようになってるようにとれ、てんで意味がないというかやりとりがわけわかめになってくるのです。
これからさきは戯言ですが、いつの間には日本語って変化してるのではないかと思ってて、断定が先にあってそれ以外があるんだかないんだかわからないような文言が増えたなあと感じてて、そうなってくると言葉というのを介しての意思疎通がどんどん難しくなってくるのではないか、などと思ってるのですが、杞憂に終わればいいんすが。