早起きして東銀座の東劇で映画を観ていました。故・立川談志師匠の一周忌にちなんで製作された落語にまつわるドキュメントです。

内容は声を失う直前の独演会の映像(弱っていてもその執念に圧倒される)と、「落語とは人間の業の肯定である」という以前からの持論に沿うように(亡骸から金を奪う)「黄金餅」の抜粋と、晩年の「イリュージョン落語」に関連して「やかん(浮世根問)」、それと多くの人の記憶に残るであろう談志版の「芝浜」です。


芝浜というのは腕が立つけど酒好きであまり仕事熱心ではなかった魚屋さんが芝浜で42両拾うことにまつわるはなしで、談志師匠は魚屋さんのおかみさんに焦点を当てます。このおかみさんを「よくできたおかみさん」として扱わず、大金を拾って嬉しいと思ってしまい、その事態をいまいちのみこめずに動揺してしまう人として語ります。アドバイスを受けて他にやりようがないのでうそをつき、42両を夢としてまるめこむのですが、旦那さんは根が悪人ではありませんが酒に弱く、42両ひろったことを「夢でも見たんじゃないの」といわれると「そうかもしれないな」と納得してしまう人です。丸め込んだことをおかみさんは告白するのですが、詳細はそのうち全国で公開されるのでそこで確認していただくとして、根っこに人は素直である・善人である・弱いものである、という人間観がある、というとどこか説教くさくなりずれちまうのですが、おそらく現代人にも深く関係してくるはずの、どう対処していいかよくわからないときにでてくる人の根っこの部分が演じられ・語られてて、すごい体験をした、というか、かなり印象的でした。
で、もうひとつの「やかん」はイリュージョン落語というのに関連して紹介されていました。イリュージョン落語に関してはおそらくかなり重要なことなのですが、ちょっと説明がしにくく映画の中でも解説を断念していました。すべてを理解していないのでへたなことはいえません。ただうっすら「言葉にしにくい面白さ」・「なんとも言えないニュアンスの面白さ」が言葉のつらなりのどこかにあることをイリュージョンといってたのかなあ、と。真面目に考えようと思ってもそもそもやかんという根多自体、ご隠居さんがものの由来を尋ねられ、ヤカンの由来を「矢がカーンってあたるからヤカンっていうんだよ」と説くようなもの(注:「やかん」の由来は各自ご確認ください)なので抱腹絶倒の連続で、正直きいてるときに意識してあんまりちゃんと考えていませんでした。で、問答のなかに、「上品ってのはなんすか」ってきけば「己の欲望にスローモーなやつだよ」とかはっとさせられる言葉もあります。上品というのを辞書でひいてでてこないようなことや常識では説明できないことをすこーんと説明されぐうの音も出ないので、面白いのです(そこらへんの世間に流通する常識を問うことがおそらくイリュージョンのひとつなのかもしれないのですが、もしかしたら違うかもしれません)。もうひとつ印象的だったのが地球は丸いのか、という問いで「地球が丸いワケねえだろうまさか文房具屋の地球儀をそのまま信じてるのか」という答えなのですが、ここらへん目で見たわけでもないことをそのまま信じていいのか、という強烈な深い問いかけです(おそらく、そんなことを考えるのはあんまりいないかもなんすが)。でもって表面上はちゃんと笑わせる内容になっています。しかしちゃんと聞いてるとそれだけでは済まされない深い落とし穴があるわけで、うならされちまうのですけども。


およそ2時間ほど、笑いながら考えさせられた映画でした。映画っていっても劇場内は笑いがしょっちゅう起きてて、立川談志という人が、もういないことがちょっと惜しまれます。

現在東銀座の東劇で公開中で、来年1月からは松竹系の映画館等で公開されます。