高野山へ行ってました

南海高野線でなんばから二時間弱ですが、紀ノ川を渡ってからは山の中をぐんぐん進みます。

極楽橋という駅からケーブルカーに乗り換え山上へ

まず奥の院へ行き、勤行させてもらいました。でもってどこからが聖域かは見当がつかなかったので写真は撮らずじまいっす。この入口から2キロくらい奥に奥の院がありまして、御廟があり、そこには弘法大師空海が入定してる前提になってます。前提になってます、って言われれると怒られそうなんすが、どう説明すればいいのか言葉に詰まるのですが、この世にとどまりながら思慮を断ち禅定というか修行をしている・救いの手を差し伸べてることになってます。永平寺では道元禅師のことを「生きてるのとおなじようにお仕えしてる」と述べていたのですが、そのことばをつかえば高野山の中のお坊さんは奥の院にいる弘法大師に対して「生きてるのと同じようにお仕えして」います。わたし個人は四国を巡拝していた際に、弘法大師がそばにいるということを前提で扱われれた(みかんやヤクルトを貰ってもそれは弘法大師におそなえしてるのと同じ意味合いをもつことを経験した)のでなんら違和感がないのですが、なんだろう、この説明が説明になってるかどうかはわかりません。説明が難しいっす。で、実際、食事や着替えが運ばれてますし、御廟前では巡礼者以外でも勤行する方もかなりいました。燈明も絶えることがありません(つか千年消えてない燈明があるとされてます)。
でもって奥の院まで約2キロある参道には豊臣秀吉上杉謙信武田信玄織田信長といった戦国大名から親鸞法然といった他宗(高野山真言宗)の僧、日産自動車やキリンといった企業の物故者の墓や阪神大震災被災者慰霊のものを含め、20万ともいわれる墓があります。あまりの多さにはじめは「え?」と感じたのですが、たくさんあるので、そのうち驚かなくなりました。

奥の院というのは金剛峰寺の奥の院で、奥の院ではないほうの金剛峰寺もあります。

庭が立派でしばし足を止めちまいました。

台所は撮影オッケイだったんすが、すいかが冷えてました。別に隠す必要はないんすけど、なんかこうここは等身大の人がいる、観光寺院でもなんでもない信仰のお寺である、ってのが判って妙に親近感がわいたんすが。

高野山は最初は真言密教の道場として開かれました。でもって最初に整備されたのが曼荼羅思想に基づいた壇上伽藍とよばれるところで、そのシンボル的なものとして根本大堂というのがあります。その密教世界や曼荼羅思想というのがいまいちぴんと来ないのですけど、この根本大塔というのをみたとき、なんだか「すげー」と思ったことだけ告白しておきます。

高野山は100以上のお寺と真言宗系の大学、それに食堂と土産物店があります。銀行や消防署はありますが、ほかにはあんまりありません。いままで訪れたことのない、ちょっと不思議な街でした。

あと1000日弱で高野山は開山1200年になります。その大法会のゆるキャラがこうやくんです。なんでもゆるキャラにすればいいわけでもない気がするんすが、でも高野山に興味をもつ・高野山を通じて仏教に興味をもつきっかけになればそれはそれでいいのかもっす。でもって、金剛峰寺の方曰く、どうも奈良のせんとくんがライバルらしく知名度ではこうやくんは低いので、ぜひ高野山にたくさんの方に来訪していただきたいので、こうやくんを広めてください、とのことだったので、こんなふうに書いてます。や、宗派は全然違うんすけども。

翌日から出勤で、この日のうちに東京に戻らねばならなかったんすが、もうちょっといたいと思いつつ封印し、南海電車で急いで俗世に戻りました。

予定も立てずにふらふらっと東京を出て、なんにも考えない時間、ってのがちょっとでもとれたので、いくばくかの疲労と散財はまったく後悔はしてなかったり。