テレビの話1・早すぎた天才の引退

質屋蔵、という落語があるのですが、オチはある和歌を知らないとなんのことだかわかんない落語です。落語のうちのいくつかは「誰にでもわかる笑い」ではありませんでした。で、逆に漫才はそうではなくて万人受けする、誰にでもわかる笑いというのを追求してたところがあります。「いとし・こいし」や「やすし・きよし」のように老いも若きも誰もが笑い、安心して観られるものでした。中川家やナイツもここにいます。島田紳助という人は落語を意識してたのかどうかはわかりませんが漫才だって別に誰もが判る必要はないんじゃないの?っていうことをしだします。それまで舞台ではスーツを着るのがふつうだった中、ツナギを着て、判る人だけ判る、特にツナギ着てるような若い人向け、という漫才をしだします。反発もあったでしょうけど、意地でもそれをやりぬきました。そういう意味では革新的なお笑い界の功労者です。その延長線上に実はダウンタウンがいます。ダウンタウンの笑いというのは従来の漫才があったうえで、漫才の基本路線の徹底的破壊の上に成り立ちながら、なんとなく漫才になってて、なおかつ判る人だけ判る、っていうところにありますから万人受けしません。ダウンタウンがいるのは島田紳助という人が「万人受けしないけど、わかるひとだけわかればいい」漫才をやっておいたからかもしれません。ダウンタウンが強烈に漫才を否定しましたから、否定の先駆者でありながら中途半端になっちまい島田紳助という人は漫才の世界から消えちまうのは何とも皮肉なんすけども。


漫才の世界から消えた島田紳助という人が次にしだしたのは、すでにある笑い・面白さの破壊です。いいかえれば新しい笑い・面白さの発掘です。ひとつはお笑い以外の世界の人をお笑いと同じ土俵に立たせるとことで面白さを引き出します。仁鶴師匠のやってる法律相談を横目に、島田紳助という天才は、弁護士でありながら、知性を感じさせないそこらへんのあんちゃんに法律を語らせ、法の世界を以前より身近なもの・面白そうなものに感じさせることに成功します。最大の原石がたぶん橋下弁護士で、毀誉褒貶ありますけどまがりなりにも大阪府知事にまでなりました。
もうひとつは「おばかキャラ」の発掘です。常識を問うテストの成績がよくない若いタレント・俳優の思考回路を読み取って、その思考回路を理解する、という面白さを発掘します。彼らの思考は並大抵のお笑いタレントより破壊力があったのでおばかキャラと名付けられちまいましたが、紳助という人は羞恥心と名付けた彼らを批評しながら笑いとばすことをせずに同じ列にたち一緒に成長すること・見てる人に笑われるのではなく誰かを笑わせる存在に彼らを誘導する選択をします。たぶん「笑われる」ということと「笑わせる」ことの差を芸人ゆえにいやというほど知ってるからでしょう。そこに紳助というひとのやさしさを見ることもでき、見ているほうもなんとなく安心できるのです。気が付いてたかどうかは別として、そこらへんはほんと天才的であったとおもいます。


テレビをあんまり見ないのでへたなことは言えないのですが、なんとなく島田紳助という人の存在は、でかかったなあ、とおもうのです。どういう事情があったのかあんまり興味はないのですが、なんだか惜しいなあ、という印象をもったんすけども。