私の辞書にはBeのところにはけっこう書き込みがあります。昔、そこらへんで理解できずに苦労したのです。ちなみに今でも他人に説明できるように理解できてません。


「To be or not to be:that is the question.」
っていう有名なシェイクスピアハムレットのせりふがあるんすけど、これ、よく「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」って訳されます。高校生のころにこの言葉を知ったのですが、B`z が90年代前半当時(曲名はとっさに思い出せないけど)「Be there anytime」なんて歌ってたのです。Beについてジーニアスを引いてちゃんと読んだのはその頃です。Be動詞自体が「存在」の意味合いをもつ旨書いてあって、そうすると単純に考えると「生きるべきか死ぬべきか」というより「ここにこうして居るべきか否か」なんだろな、なんて思ってました。でもよくよく考えると死ぬとか生きるってのは、やはり存在に関わってくる話なので間違ってないわけです。そのうち日本ってBe動詞とか存在の言葉がない・存在ということをさして意識しない国なんじゃないかと思って、で、うまい訳しかたなんてないんだろな、外来の言葉ってのを訳そうとすると絶対なにかが零れ落ちるのではないか、なんてことをぼんやり考えてました。
そのうち大学生になって、シェイクスピアを読まされることになりました。マクベスです。で、有名な魔女が唱える
「Fair is foul,and foul is fair」
の文字に冒頭のページでぶち当たります。(たぶんいろんな意味が凝縮されてるのではないか、と疑ってるものの)キレイはキタナイ、キタナイはキレイって素直に考えると訳せるのですが、ほんまにそれでええのんかぁ?isはBe動詞やでぇ?キレイはキタナイのなかにある、公正は不正のなかにある、とちゃうのんかぁ?ってので悩まされることになります(余談ですがこの言葉が尾を引いてるから、大学卒業後十数年経たいまでもキレイってなんだー、なんてたまに書いてるのです)。


で、この二つのことば、腹のそこからいまだに納得のいく訳・答えってでません。
そもそもの「存在」ということとかBe動詞ってのを背景を含めてぞんざいに扱わず、ちゃんと理解してればそんなことにならなかったかもですけども。
マクベスあたりからこじれてしまって、存在とかは言語とか思想とか哲学に関することだと思うものの、英語というのを含めてそこらへんに苦手意識をもっちまい、今に至ります。日常生活にはなんら支障を来たしはしないですが、ちょっとした拍子に何かをどこかに置き忘れてきた違和感をたまに感じます。
違和感の他に英語や哲学とか思想を含む教養ってセックスのときに必要な潤滑ジェルみたいなもので無いと自分の中に取り込む必要があるときに苦しむものだ、って気がついてもいるのですが、今はそういうときは手のうちようがなくて痛いのを我慢するしかないっす。もっとはやい段階で気がついてたらなんとかなってたかもしれないんすが。