問題点がどこにあるのかってのがわからないとき、そこに至るまでのプロセスを可視化すると解決のヒントが転がってたりすることがあります。でも可視化っていうかみえることってのはたまにうんざりすることがあって、目の前にこなさなきゃならない課題があったりするとこれまたしんどかったりします。可視化できるようになったせいか見過ごしていたものが見えるようになって、原因がわかってるけどその処理方法に時間をかける必要があったり解決法に戸惑うことがあって足踏み状態になりなかなか消化しなければならない問題が減らず、ストレスが溜まることが多かったりってこともあったり。


で、ひょんなことから問題が他人からもたらされることもあります。
自分ではオッケイだとおもってたことですが他人からすると問題に見えたりすることもあって、ネットで書いた話ですが病院で世話になった女医さんや看護師さんに対して謝意としてあぶらとりがみをお礼に渡したこと・意識してなかったけど働いてる女性もあたりまえのことだけど化粧に気を使う女性なんだよな、ってのを書いたら、病院内の当該行為は深刻なことになりかねない、という問題指摘を貰ったりもしました。過去のことだからもうどうしようもできないことなんすけども、ようはそんなことしないほうがよかったんじゃ、ってな批評なんですが地味に利きました。自らの行動を書くこと、可視化ってこういうことなんだ、なんて肌を擦り剥きながら思い知らされた一件です。そして(些細な謝礼をすること自体は別にいまだ悪いことだと思ってないですが)未だに小骨がのどにひっかかったような感じなんすけど、何でその批評に引っかかったかを考えるとそういうささいな謝礼行為をする自分というのを誰かにほめて欲しいと思ってる部分もあることを意識しました。カッコわるいっすけど。
ネットで自分の行動を書いて可視化すると、そういうのも見えてきます。


日ごろリアルでは絶対告白できないことを匿名で書けるのは便利です。で、匿名でブログやってるのだし自分のことをさらけ出して見つめなおそうなんてこと考えて途中から書いてみたりしてるんすけど文字にして可視化してみえてくる得体の知れない自らの姿・かっこ悪い自分の姿に直面するのも、実はわりとストレスを誘発しやすいってことに最近、気がつきました。