[裁判員制度]死んでしまうかもなんて普通判らないとおもう

来年始まる裁判員制度に向け、東京地裁は6〜7日、主婦が中心となった模擬裁判を行った。
裁判員6人のうち5人が主婦。知人をナイフで刺したという殺人未遂事件で、殺意の有無を評議した。ただ、司法独特の言い回しは「難しい」と不評で、裁判官が「ごもっとも」とうなずく場面もあった。
検察官は殺意について、「通常であれば人が死ぬだろう行為を、そのような行為と分かって行うこと」と説明した。ところが、主婦たちは「何をもって『通常』というのか分からない」「動物実験したわけでもないのに、何が『死ぬだろう行為』にあたるのか判断できない」となかなか納得できない様子。
最終的には殺意を認め、被告に懲役8年を言い渡したが、「今後の改良点がたくさん見つかる」(高麗邦彦裁判官)評議になった。
3月7日付読売新聞より転載

裁判員制度は殺人や強盗だとか誘拐など刑罰の重い事件が対象になります。三人の裁判官と選挙人名簿から選ばれた六人の裁判員が合議によって罪状や量刑を決めます。「今後の改良点がたくさん見つかる」というのはなんか聞こえが良いものの来年春には始動して量刑を実際決めてゆくことになります。で、今いたるところでその試行を各地でやってます。その記事から。


細かな設定は不知ですが本人が殺意を否定してるか、傷害か殺人かを争ってるか、殺意があるかどうかが争点なのでしょう。
で、殺意について「通常であれば人が死ぬだろう行為を、そのような行為と分かって行うこと」という検察官の説明に対して
「何をもって『通常』というのか分からない」
動物実験したわけでもないのに、何が『死ぬだろう行為』にあたるのか判断できない」
という突っ込みは正直、目からウロコでした。つか、その通りだと思う。


よく「通常」なんていうのですが、その通常とは何よ?って云われてもドーナツの穴と同じでなかなか説明しにくいのです。この場合、多くのケースから類推してそのとうりになるであろうってことだとおもいます。
また殺人事件をしょっちゅう見ている検察官裁判官弁護士を除いて普通の主婦や社会人は刃物で腹部をプスリとか「『相手が死んでしまうかもしれない』という程度の行為」を普段からそんなことしたり見たりした経験がないのでどのレベルの行為が「死んでしまうかも」というのは判らないはずでメッタ刺しなら別としても「殺意があったはず」っていうのは判断つきにくいと思うのです。証拠(この場合刺し傷の写真や診断書、証言なんかがあるはず)の見方に長けてる裁判官が判断するのはわかるのですが、そうでない裁判員が殺意の有無を左右するってのは、ちょっと怖いし、あらためて大丈夫なんかな?とこの記事を読んで思えてくるのですが。


市民による司法のコントロールって言う建前はよくわかるのですが普通の裁判官より普通の主婦のほうが常識的だし正しい判断ができるかって云ったら、保証はありません。もっともその逆も必ずしもそうとは言い切れない面がありますが、どっちがマシかって云ったら、犯罪を多くみてきたプロの目のほうが確かでマシな気がするのですけれど。