弁財天のこともしくはゲン担ぎより大事なこと

ブラタモリでもやったのですが吉祥寺の井の頭には弁財天がいます。井の頭の池に男女でデートで行くとなぜか弁財天が嫉妬してそのカップルは別れることになる、という伝説がありました。中央線もしくは井の頭線沿線の、かつてガラスの十代だったいま四十代くらいのおっさんならある程度知っている伝説です。じゃあ野郎二人なら弁財天はどうするの?という実験したやつのことは横に置いておくとして、そういう嫉妬深い弁財天が近くにいるとうっすらと「頼めばなんでもかなえてくれるような、神様は都合のいい存在ではない」と悟ります。デートを続けるうちにデートで他人を飽きさせないような、そういう努力をする奴だけに力を貸すのではないか、というような想像も働きます。もちろん弁財天にあって訊いたことは無いので事実はわかりません。受験のときも亀戸天神に行きましたが、弁財天を念頭に道真さんも勉強する奴にしか力を貸さないだろうということを前提にお参りしていました。これも道真さんにあったことが無いので事実はわかりません。弁財天の影響でいまでもどこへ行っても「がんばるのでよろしく」的な漠然としたお願いしかしてません。お守りもまず買いません。ただ十二指腸潰瘍のときに病気平癒のお守りを貰ったので、それだけはしばらく肌身離さず持っていましたが。
はてな今週のお題が「ゲン担ぎ」なんすが、ゲンを担いだところで事態はまずなにも変化しない、そんな都合のいいことはないだろう、と考えちまいます。弁財天の影響です。おそらく巧くいくかどうかは最後はそれまでにどれだけ対策したかとかなにをしたかで決まっちまうことがあるはずです。もちろんついてきてくれる後輩とかの手前、ちょっと大事なことの前などに景気づけにとカツサンドを食べたことはあります。が、カツサンドで勝てたとはもちろん思っていません。
むしろここぞというときには個人的には目の前にニンジンをぶらさげることをします。対策をしても不安はなくならないことがあります。不安があるとき食欲が落ちますが、食欲が落ちればテンションも体力も下がります。そういうときに食欲を上げるためのものを用意しておきます。たとえば福太郎という店の明太子が好きなので買っておき、ちょっとずつ食べてゆきます。つくづく思うのですがたいていのことは美味いもの喰えば・美味いものがあれば、なんとか頑張れるし乗り越えられます。ゲンを担ぐよりなによりも大事なことは、美味い飯を食うことだと思うのですが。

理解されにくいこと

お金はないよりあったほうが良いのですが積極的に投資をするかといったらあまりしていません。国債に手を出していた時期もありますがいまは信託銀行と銀行に預けてあるくらいです。外貨預金を勧められても経済に疎いので手を出していません。仮想通貨の名前だけは知っていたものの有価証券なのかどうかもわからなかったので手を出さずにいて、一攫千金は狙えたかもしれないけど最近の流出のニュースで「手を出さなくてよかった」と思った次第。
ゲン担ぎのネタをちょっとだけひっぱると、稀に宝くじを買うことがあります。が、一攫千金を狙っていません。全力を尽くしたあと、宝くじに外れるという不運をそこに集中させるためにたまに買ってます。当たったら困るのです。だから当選番号も確認しない。親しい人に話すと「相変わらず謎なことするね」って呆れられてからほぼ誰にもしゃべっていません。ここらへん理解されにくいかも。