ファッションのこと

ちょっと前にセクシャルマイノリティの人はおしゃれ、なんてのをはてなで読んだことがあるのですが、セクシャルマイノリティの人がおしゃれ、なんて評価を受けることは実は悲しいことで、なぜって自分を消す・個性を消すのが巧いからです。外側に対して素を出したらいいことはない・むしろえらいことになる、って皮膚で判っちまってる人間は自分をどこか消します。外部の人がファッションに気をとられてる間は、その人には焦点がむいてないから内面がばれる危険性が低いです。つまるところファッションは着ている人を消すことができます。個を消すことができます。モデルの顔を覚えてなくてもモデルの着ている服が売れるのはそのためです。
この作用を利用したのがナチス・ドイツで、個人より民族共同体を優先する考え方をファッションで実現します。ナチスの親衛隊等の服が不幸にも洗練されたものであったのですが、国家社会主義に共鳴する若者にそれを着させて、着ている人間は個より国家を優先させる社会に貢献しているという連帯感を醸成させ高揚させ(と同時におそらく優越感を持ち)異なる主張をする人々を圧倒することをさせ、また洗練された制服等のおかげで国家社会主義的なものに対して受容しやすくしてしまったところがあります。着ているものは考え方をも変えるのです。
たかがファッションなのですが、されどファッションなのです。
女性アイドルグループがナチスの軍服を連想させる格好で集団でステージに立ち(そこで拍手を浴びていたらなおのこと全体主義賞賛にとられかねないので)、結果ユダヤ系団体から抗議が来た、在京イスラエル大使館がホロコーストに関してセミナーに招待したいってのもありました。
服というのは着ている人の個性を消す・隠すと同時に、弔意を示すと聞き喪服を着るようにファッションというのは考えを表出する・意思表示というふうにとられることもあるので、ナチスの制服を着て人前で賞賛を受けることがそれが主義主張だととられても・全体主義的なものに好意的である人たちがいる、ととらえられても不思議はないです。
繰り返しますがたかがファッションなのですがされどファッションであって、一連の流れを見てて、日本社会ってファッションについて鈍感なんじゃないのか、なんてことを考えちまったのですが。