本屋さんに用があって、神田へ。ネットが便利と知りつつも、ものを探すというのが嫌いではないので意地でも私は本屋に行きます。

本屋さんのあるあたりは神保町といいます。神田というのはかなり広域で、以前外人さんに神田に行きたいのですがと尋ねられて、神田のどこですか、と逆に訊くときょとんとされたことがあります。本屋さんのあるあたりは神田神保町で、スポーツ用品店があるあたりは神田小川町、電器街は外神田です。慣れちまえば別ですが、外から来るとややこしいかもしれません。

すこし東へゆくと神田須田町というところ。

須田町の青果市場あとの碑です。江戸から大正にかけて青物市があった、というのをブラタモリでやってましたけど、はい、今日もテレビに影響される悪い子です。青果市が大正まであった、というのは関東大震災で被害を受けて秋葉原・外神田に移転したからです。

江戸期に伏見から分霊された一八稲荷というお稲荷さん。防災の神様でもあります。ブラタモリでも紹介されてましたが、このあたりはお稲荷さんがかなりあります。お稲荷さんは農業と商業の神様でもあり青果市があったからあたりまえっていえばあたりまえなのですが、神田はここは江戸から続くところなんだなあ、と思わされます。

でもって須田町にあるサカエヤミルクホールという食堂。建物がちょっと貴重で「看板建築」ともいうのですが壁を銅版で被覆した建築になってます。なぜ看板建築かというと、看板板を立てたような、というニュアンスのようで。関東大震災のあと防火を兼ねて銅版被覆の看板建築が神田界隈に多く建てられたらしく、そんなふうに地震と建物の歴史はけっこう密接に影響してまして、その残り香なのですが、かなり少なくなってきました。

地震といえば、現在神田では高架の東北新幹線の線路の上にさらに高架をつくる工事をやってます。現在上野どまりの東北線を東京どまりの東海道線と連絡させ並行する山手線や銀座線の混雑緩和を図る予定なのですが、構造計算上の確認を経て問題はクリアされてるはずなんすけど、実物を前に直下型地震を考えるとちょっとダイジョウブなのかな、とすこしだけ思っちまったり。


神田から南進して東京駅へ

戦災で仮復旧していた丸の内口の赤レンガ駅舎の復元工事が最終段階に入りつつあります。奥にビルが建ってますが、反対側の八重洲口にあるグラントウキョウサウスタワーです。もうちょっと短い名前つけられんかったのかな、とおもうのですが、それは兎も角、現在東京駅周辺では壮大な計画が進行中です。

この写真の先にある東京湾から八重洲までこの八重洲通りに海風が吹き込んでくるのですが

この写真の先にあった大丸の入る駅ビルがせき止めてたので、大丸とオフィスを移転させ取り壊し

風の通り道を作る、という計画です。赤レンガの向こうの左右の建物が取り壊した駅ビルの後継で、右がグラントウキョウサウスタワー、左が大丸の入ったグラントウキョウノースタワーです。大丸がなくなったので、この2つのタワーの間から(うまくいけば)海風が吹きぬけるように作り変えたのです。

風はそのまま行幸通を吹き抜け、皇居へ向かいます。風を通すことで、ヒートアイランド現象がいくらか改善・緩和するのではないか、都心部が涼しくなるのではないか、というのですが、夏の暑さが苦手な都心在勤者からすると、そうあってほしいっす。


東京では節電が続行中で、東京駅のエスカレータも不必要なものは止めてます。

今年は、去年より涼しい夏を期待したいところ。
以上、建築や都市計画を意識しながら失敗した、いつもながらのまとまりのない、記録でした。