頭をさげることの難しさ

頭を下げるというのを私は別に理由があればそれほど厭わなくて、やろうとおもえばやれます。こちらに非がなくても頭を下げて協力を得ることができる場合には頭を下げちまうことがないわけでもないっす。下品な例でいえば、えっちしたい時に相手に頭下げてやらせて、ともいえます。でもってそういうことを考えてると頭を下げるってことに猜疑心がないわけではなくて頭を下げてる姿なんかを見るとなんとなく相手に何かを要求するつもりなんかな、ってなことを考えちまったりもしますって、それはともかく。

なにかが巧くいかなくて、頭を下げることが非を認めて謝るってことに直結しちまうと、謝ることは被害を与えた相手に対しての誠意を示すことにもなるんだけど、ほんとは謝ることのほかに重要なことがあって、それが頭を下げてばかりだとかすんじまうのです。頭を下げるって書いたんすけど、頭を下げたほうと下げなかったほうには前後にそれほど差はなくて、頭を下げたほうが屈服したという反省のポーズ的なものだけが残っちまうのです。頭を下げれたほうは、ゆるしてくれるだろう、っていうのだけが残る可能性がある。下げられたほうは、下げられた記憶しか残らない。でもって、頭下げたほうは下げた記憶はすごく残るから、ひと作業したということだけは鮮烈に覚えたりする。その状態で具体的に今後どうするかを述べようとするとなんとなく鞭を打つような感じになっちまう。そこでひるむと下手するとなんにも解決してないことにもなったりします。えっちの時に、あーへたくそでごめんね、なんていったときに、頭を下げておけば、という発想になっちまうと、頭を下げた後に先のことに対する対応がぼやけてしまうわけっす。ほんとはそこが重要なんすけど。


先のことを考えていまある事態をどうやって改善するかってのが重要なんだけど、頭を下げられると見えてこなくなりがちです。起きたことについてどうやってケリをつけてくかってことを考えないと、実は頭下げたって意味なんかないんすけど、もちろんそれを知っててこれからもっと迷惑かけるかもだからってんで頭を下げることをやってるひともいるんすけど、単純にどうやってケリをつけるかとか先のことを考えてなくて恐縮してる相手にそれをどうやって判ってもらうか、ってのは、実はけっこう厄介だったりするよなー、なんてことを考えちまったんすけど。
そういう時に(批判の言葉を述べるのではなく)同じ位置に立って先のことを考えたほうがいいのかなあ、なんて頭では理解できるのですが、頭を下げられるとなんとなく言葉ってかけにくいよな、って思ったり。