人間、わかんないことがあると不安になります。ダジャレっぽく言うと、わかるところとわからないところがイチマツ模様にあって、わかるところからわかんないところを推測してるうちに楽観的から遠くなって、イチマツの不安が発生するんじゃないかとおもってます。実際、西友でパンがないとこみちまうとこの先もパンが入らないのではないか、っていう推測をしちまいがちです。


私は悲しいくらいに文系なので原子力発電所がどうなってるのか・深刻なのかどうかテレビをみててもさっぱり判んなくて、でもなんとなく熱を持ってることだけはわかってて、自衛隊の皆さんのほかに東京消防庁が熱を持ってるところに冷や水をぶっかけてるんすから、そのうちなんとかなるんだろうな、ぐらいに考えてましたけど、不安がないわけではありませんでした。中途半端に放射能は危険なものなので厳重に管理されてるべきものっていう知識があって、それが漏れてるってのが東京では繰り返し繰り返し流れてるからです。放射能に関する知識はまだらで、それが不安要因なわけです。
でもって金曜日に読んだ毎日新聞の科学部の人の文章(ラジオ福島で放送された解説を要約したもの)でやっと事態がうっすら理解できた気がします。福島・浜通りで今週、その場所に230時間いて胸のCTスキャン一回分の放射能が検出されたんすがその状態のことを、「健康に影響がないとは言い切れない」というのは科学的には正しいけど的確ではない、というのだったのですが、あーなるほど漏れてるのは事実であのCTスキャンレベルなのね、だから漏れててもすぐには危機的状態ではないのだなと、どうも自分の体験に即して判断してました。読んでてなんとなく賢さのポイントがひとつ上がった気もしますが、CTスキャンがどうして放射能をつかってて輪切りの写真が撮れるのかわからないので、賢く感じるのはたぶん錯覚だと思います。


たぶん放射能に関しておきてることのすべてを理解するのは現実問題としてむずかしいけど、専門家がそういってるのならば、信用しとこうか、と思ってます。最後は信用ってなによ、ってことになってくるんすが。情報そのものが錯綜してて、ほんま大丈夫なんかなー、ってのがないわけではありません。
で、内容そのものではなく、耳にした・目にしたものが信用できるかどうかってのは感覚的っていうか心のもちようひとつになってきちまうわけで、信用してもいいのかな、ってのは、火消しのために消防庁自衛隊の人ががんばってるし、俺は少なくともきちんと与えられた仕事をしてるんだから、このひともいっぱしの仕事してるんだろうから人としてたぶん間違ったことをいいはしないであろう、っていうてめえの社会観を基盤にした、ぜんぜん根拠があるかどうかわかんない話です。でも無根拠でいいほうに進んでるって信じてないとやってけないところもあるんすけども。