卒業

何回か書いたかもしれませんがこれをかいてるやつは江戸期から続く名字帯刀の家の12代目くらいになります。ただ立派な家に住んでいたかというとそんなことはありません。大学卒業まで住んでいた家にはクーラーがありませんでした。夏の暑い時期は図書館で勉強をしていたことがあります。実家は柿やざくろや梅や柚子など果樹もたくさん植えてあって無駄に広く、おそらくそのぶん固定資産税と相続税はバカにならなかったはずで、それをサラリーマンが払っていたのですから火の車とはいわないけど必ずしも裕福な家ではなく、そのなかでよく大学まで出してもらえたなあ、と思っています。大学に入るとなんとなく世の中がわかってきて、ああ俺大学行かなかったら家にクーラー付いていたかも、おれ親不孝かもしれねー、くらいのことは考えていました。だからけっこう勉強はしていたつもりであります。もっとも法学部に行っても司法試験を突破できるほどできた学生ではなかったのですが。
でもってそういう状況だったので若干うしろめたさがあり、卒論を書き終わったあと頭を下げて、いちど卒論を親にみせようとしたことがあります。ただ父は機械系で母は幼児教育系でしたから、突っ返されちまいました。概要を説明して、なんとなくは理解してもらっただけでも良かったのかもしれません。そのあといちおう卒業証書をみせて頭を下げたとき、若干涙ぐんでたので親不孝じゃなかったのかな、なんてことを考えちまったのですが。でもって卒論・卒業証書をみせようとした行為というのは、どこか褒めてもらいたかったのかもしれません。小さい頃に眼科や外科の手術を受けたことがあって、耐えたあとがんばったね、って褒めてもらえたことがあるのですが、がんばったら褒めてもらえる、ってのがそのころまでは残っていたのかも。
社会に出るとなんとなくがんばるのがあたりまえになってしまってるところがあります。ここんところまれに褒められると、なんとなく不意打ちにあったような居心地の悪さを覚えます。父も母も病を得てしまいもういまはこの世にはいないのですが、がんばったらほめてもらっていた両親の庇護から、いつのまにか卒業していたのだな、なんてのを最近、ちょっと気が付いたんすけどって、ファザコン・マザコンっぽいエントリでどうでもいいですね。
今週のはてなのお題が「卒業」なんすが、いつものごとくずれちまいました。