白州から信州へ

連休のうち2日ほどほっつき歩いていました。
○遡及日誌第一日目
【白州工場】

最初に向かったのは山梨の甲斐駒ケ岳のふもとにあるサントリーの白州蒸留所です。簡単に言うとウイスキー工場見学です。新宿からあずさで2時間弱くらい。普通電車だと3時間くらい。

ウイスキー麦芽でつくるモルトウイスキーというのとトウモロコシなども入るグレーンウイスキーというのがあります。白州で見学したのは・白州にあるのはモルトウイスキーのほうです。でもって上の写真の鉄の塊は麦芽の仕込槽です。このなかで麦芽と水を一緒にして麦汁をつくります。水はー流れるー甲斐ーこまがーたけー、ってのがCMでありましたけど、すぐそばに天然水の工場もあります。仕込みに適した水がとれるので甲斐駒のふもとに工場があるのかー、となんとなく理解しました。

麦汁をうつして発酵させる樽です。

けっこうでかい樽です。説明の方からこのなかで発酵させる、って説明をしてもらったんすけど、(日本酒の場合蔵つき酵母ってのがあるんすが)土地固有の酵母なんすか?と訊いたら酵母は別のところから持ってきてるのだそうで。ただし(森の乳酸菌とよんでるらしい)この周辺の森林特有の乳酸菌があるらしくそれが微妙に味に変化を与えてるらしかったり。具体的に書くとまろやかになるのだとか。

蒸留酒ですから蒸留の工程があります。焼酎は1回蒸留ですがたいていのウイスキーは2回蒸留します。甲斐駒ケ岳の麓って書いたのですがここは標高がけっこうあります。そうすると沸点が平地と異なります。サントリーの場合、大阪の山崎に工場があるのですが、平地の山崎とはまた別の味の仕上がりになる、という説明でした。蒸留釜もいくつかかたちを変えていて、釜によっても味が異なってきます。ひとつの種類を大量生産するわけではなく意図的にいくつもの種類の味のものを作っているのだとか。知らない世界だったので「へぇ」ボタン連打です。

蒸留したものを樽に詰めて貯蔵します。内部の温度調整はほとんどしていません。1973年操業開始でこの白州でいちばん古いのはその年のものなのだそうで。ただ古くなると樽の中から蒸発してることがあり(蒸発した分は天使の分け前と俗称される)、じゃあ税金はどうするのかを訊いたら、出荷した分だけ税金がかかる仕組みになってるのだとか。樽はカシやミズナラです。蒸留した段階では無色透明だったアルコールが樽の中で色がつき香味を持ちはじめます。ミズナラの樽だと伽羅の香りとも白檀の香りともいえる香りになるのだとか。で、さきほど釜によって味が違うって書きましたが、同じ釜から出した原酒でも樽の種類によって味が変わってくるそうです。つまり味の違うウイスキーがずららららら、と並んでるわけで。多種多様な原液をブレンダーとよばれる職人さんが組み合わせて製品に仕上げてゆくわけっす。

貯蔵庫は巨大でした。内部はすごくあたりまえのことなんすが、ウイスキーの香りで充満しています。どうせならここで死にたいってくらい。

この日は有料のセミナーに参加してたのですが、見学後に試飲体験がありました。右から「響12年」「白州」「山崎」です。ほんとは角瓶プレミアムも撮影したあとにいただいたのですが、のみ比べてるうちに失念(酔っぱらったともいう)。(酔っぱらったような書き方を続けると)どれも良い香りで見た目はあんまり変わりませんが味はぜんぜん違いました(あたりまえか)。
山崎と白州はそれぞれの蒸留所で製造されれる製品です。割らずにのみ比べるとわかるのですが、山崎は甘くなめらかで余韻があるのですが、白州はすっきりとしてほのかに酸味があり山崎に比べて軽快です。ああこんなにもちがうのかー、とちょっとびっくり。「山崎」も「白州」もそれぞれの蒸留所の麦芽由来の原酒のみをブレンドしています。でもって「響12年」は麦芽由来のウイスキーのほかにトウモロコシなどの原材料が入ったウイスキーブレンドしたものです。口当たりの良い甘さなんすが、個人的には(ウイスキー童貞を失ったのが端麗辛口の白角だったせいかそれほど甘くない)酸味のある白州のほうが好みでしたってだれもてめえの好みなんざ訊いててないかもですが。ウイスキーに関していうとなんとなくどれも一緒なんじゃないのかななどと味に無頓着だったのですが、今回細かい好みがなんとなく判りました。文字どうり酸いも甘いもかみわける年になったのかなあ。でもって自覚できるくらいに酔っぱらいました。

工場のある森の中にバードサンクチュアリが整備されてます(サントリーなので鳥つながりかもですが)。姿は見つけられず。酔っぱらって注意力散漫になってただけかもなんすが。

その他に工場内には博物館があります。酒の歴史やサントリーの社史などの展示がありました。正直に告白すると酔っぱらってたのであんまり身に入ってません。博物館の上に展望台があることはあるんすが、この日は天気があんまりよくなくて甲斐駒は望めず。おそらくあっちかなあ、と撮影したもの。さいしょは乗り気ではなかったのですがいざ来てみると正直けっこう興味深かったです。
【諏訪へ】
小淵沢から中央東線で諏訪へ。

諏訪は時計のまちですが、

味噌の産地でもあって、諏訪にあるのがタケヤみそです(神州一も諏訪)。なぜそうなったかは謎なのですが残念ながら東京は古くからの江戸味噌は細々と作ってるくらいでタケヤや神州一、ハナマルキなどの信州味噌軍の影響下にあります。建物内に入るとよく知った味噌の匂いがしました。とん汁とごまみそアイスを有料で販売していて、アイスをシェアしたのですが、こういうのもありかなというか、あっさりしてるのですが相性は悪くなかったです。

タケヤみそのそば、諏訪湖のほとりにあるのが間欠泉です。間欠泉ってのは一定周期で自噴する温泉です。昭和の終わりに間欠泉を掘り当てそれがいまでも現役で、でもって最初は50mくらいの高さまでいったらしいのですが、次第にどんどん勢いがなくなり、いまはコンプレッサーの力を借りて日に5回ほど5mくらい吹き上がります。それでもなんかこう、地球って生きてるんかな、ってのが実感できます。

諏訪の温泉で特質すべきなのが片倉館です。欧風建築の民営の公共浴場で、昭和の初めに(諏訪地域の企業の)片倉製糸が一般市民のために設置したもので、中は百人がいっぺんに入ることができる深さ1mくらいの大理石の巨大な浴槽があります。誰がそのアイデアを思いついたのか知らないものの浴槽の下には玉砂利が敷いてあり足裏を微妙に刺激します。諏訪の湯は腰痛に利くらしいのですが、腰痛を知らないので効果はよく判らなかったり。この時点で完全に酔いが抜けました。
○遡及日誌第二日目
しなの鉄道で軽井沢へ

新幹線と並行する信越線はしなの鉄道という三セクになってます。車両は中央東線で走っているのと同じタイプなのですが、ぜんぜん印象が違います。赤い色から受ける印象って不思議です。
【セゾン現代美術館】

私は高校生のときに辻井喬という小説家の本にであいました。そのあとなんとなく影響を受けていて、詩集以外はほぼ読んでいます。で、去年辻井さんが鬼籍に入られ、それをきっかけに実業家堤清二としての側面に触れながら辻井さんの著作とコレクションが今回展示されているので訪問しました。館内には西武百貨店のキャンペーンの「おいしい生活」のポスターのほか、おそらく堤さんが企画した深く関係する会社の渋谷の西武劇場(パルコ劇場)での武満徹の音楽の公演や安部公房の演劇のポスターも展示されていました。と同時に創業者利潤をそのままつぎ込んだと懐述されてる現代美術コレクションがかなりあり、サンシャイン60西武百貨店のオフィスに設置されていたと思われるルーチョ・ホンタナという人の作品(いわゆる装飾品的絵画ではない)や、思いつくままに誰もが知ってそうな作家名を書くとパウル・クレー、ロイ・リキテンシュタイン荒川修作などの作品が紹介されていました。また宇佐美圭司という人の複数の作品に辻井さんが短文をつけてる連作があったんすがそれをつい凝視して熟読しちまい、しばらくそこから動けませんでした。作品そのものでも眺めていたいものであったのですが、文章を加えることでベつの見方が加わり、文章そのものも読んで充分理解できるものなのですが、画が加わることで別の変数が加わるような、ちょっとそれまでにない体験をしました(ってやはり言葉で説明すると厄介なんすが)。一定の方向性を指ししめす作用があるものの文というのは絵を補強するし、絵も文を補強するというのを思い知ったというか。
あと武満徹さんが水色の色彩の絵をかいてらした(おそらく水面)のがコレクションに加えてあって、曲も水に関するものがあるので作曲家の脳内をかいま見たようでちょっと興味深かったです。

つか、芸術のことを書こうとするといつもおのれの頭の中の回路だけつながってる言葉しか出てこず文字にするとなんだかわけわかめな文章になっちまうのですけども。
【塩原湖】
軽井沢は夏は国道を中心にえらい渋滞が激しいところでその渋滞の激しいところを避けるように塩沢湖というところへ移動。湖っていっても人造湖です。周囲はタリアセンっていう有料の公園になってて、いくつか見学できるスポットがあります。

湖のほとりにあるのが睡鳩荘(旧朝吹邸)という(駿河台の山の上ホテルを設計した)ヴォーリス設計の洋風建築です。もともと塩沢湖にあった建物ではない(らしい)のですが、湖のほとりに移築したくなる気持ちはわからないでもないです。でもって

写真左側のベランダ・バルコニーが広いってのは、

やはりここが別荘地だからか。

貸しボートで巡航したあと寄ったのが一房の葡萄っていう店です。有島武郎の別荘を改築した喫茶店で、絵の好きな少年が絵が得意ではない友人の絵の具が欲しくてたまらず盗むまでとばれたそのあとの有島さんの童話に由来してます。詳細はどこかで読んでいただくとして、(あとから知ったのですが)この建物で有島さんが不倫の末、縊死したことになってます(知ってたら入らなかったかなあ)。
浅間山
でもってこの日も天気はあまりよくなくて、軽井沢を離れる最後まで浅間山は望めませんでした。日ごろの行いはいいはずなんすが(若干の誇張あり)

心残りといえばそこらへんなんすが、リフレッシュできたので帰京しました。