叙情と闘争

帰宅時の地下鉄で偶然座れるとついうたた寝しちまうことがあります。不幸にも座れなかったときは吊革にぶら下がりながら、本を読むときもあります。もっとも疲労が重なってるときにはそんな余裕はないです。ただいくぶん現実逃避のケがあるのですが、ここのところ疲労が重なっててもちょっと本を読もうという気になってて、昨秋なくなった辻井喬さんの本を読んでいました。そのうちのひとつ叙情と闘争というのがあります。かかわった会社のことや思想と知識の関係のほか、中国やロシアや文学のことについて述べられていました。
個人的に興味深かったのは魯迅のことです。「フェアプレイにはまだ早い」という論文に掲載されていた「水に落ちた犬を叩くべきか?むしろ大いに叩くべきである」という「水に落ちた犬」に関する話のことを叙情と闘争で知ったのですが、自らが戦って勝ちをあげ結果として相手の犬が落ちた時その「水に落ちた犬を叩くべきかと問われればむしろ大いに叩くべき」「たとい落ちたあとに竹竿で滅多打ちにしようとも非道ではない」としていて、それを踏まえて辻井さんは「理屈は判るけど」叩けるかというと確信が持てない、(共産党の東大細胞であった頃のことと思われるのですが)革命家を自負していた時期にも「断固とした態度がとれなかった」旨のことを述べ、芸術家としても同じことと判りつつも「円満なヒューマニストにとって芸術創造は不可能」という声に脅されていた、としています。私は中国文学や魯迅の研究をしているわけではないのでへたなことはいえないのですが因習のようなものを背負っていた魯迅にしてみればおそらく目の前に立ちはだかる壁を打ち破る手段として「ヒューマニスト」であることはジャマで捨てることができたのかもしれません。容易に水に落ちた犬を叩けることができるのかもです。ヒューマニストであることと芸術家であることが同時に存在可能かどうかというのは文学畑の人間でも芸術畑の人間でもないのでへたなことはいえないものの、日本人・企業人として存在した(≒百貨店の社長であった)辻井さんが人としてあるべき姿と芸術のどちらをとるかといわれれば躊躇するのは理解できます。さらに(辻井さんはそのセンチメンタリズムにはあまり近寄らなかったものの)日本の場合、おそらくセンチメンタリズムみたいなものがこの国にあって、その因習から抜け出すことはけっこう難しいことなのではないかとか、考えちまうのですけども。だからなんだと問われればひどく答えは弱いのですけど、中国と日本にある闇みたいなものを垣間見ちまって、唸っちまったのです。でもっていまでこそ魯迅は文学者として知られていますが、魯迅は一時期は革命家・思想家としての意味合いを色濃く持っていた、ということを辻井さんの本であらためて知りました。
最後に変化が常態であることを述べたあと
「鈴あらば 鈴ならせ りん凛と」
という韻を踏んだ詩が掲げられていて、10代の頃の(人の中にけものを見つけるような)「けもの道は暗い」という辻井さんの本を最初に読んだ時のような・アルコール度数の高い酒をあおったようなちょっとした衝撃を受けました。鈴はたとえであって、響くものがあるならば響くものをうちならせ、という鈴を鳴らしたものからのの鈴の音を聞いちまった人へのメッセージともとれます。表現というのはおそらく闇夜で存在を知らせる鈴を鳴らすような・人や環境が変化する中で響くものがあるならば響くものを打ち鳴らせ、というような原始的なものかもしれないなどと興奮して思考がとっちらかってるのですけど、正解はわかりません・正解があるのかどうかはわかりませんが。
定型詩というものが存在してるのはなぜかと問うたところで私は詩人でもない単なるサラリーマンなので答えがないのすが、なんとなく明快に答えられそうなことのひとつが言語を使って、変数を吹き込むことなのかもしれない、などと鈴の音を聞いちまった気がするけど鈴を持たない役立たずは考えちまうのですけども