間の悪さ

目覚まし時計を一つ必ずかけるのですが、たまにいったいを考えたか自分でもわかんないのですが、無意識にベルをとめそのまままた寝込むときがあります。悲しいことに社会人になりたてのころ、それをやっちまい、なぜか間の悪さの連鎖がおこり、(寮からいちばん近い駅まで歩いて5分なんすが必ず阪急京都線の踏切を渡らないとまずかったんすが)ほんと時間がぎりぎりの段階でなぜかその日に限って踏切がなかなかあがらず、阪急電車が遅延気味で、あーはやく、もっとはやくついてー、とか(言葉だけ書くとベットでは絶対言わないような語句を)内心叫びながら、遅刻するかどうかのぎりぎりに出社し、ひやひやしたことがありました。
それ以降、偶然と思いたいけど間の悪さってのは自分の失敗をきっかけにたまに連鎖することがあるんじゃないか、人が困る顔を見たい神様がいてどこかで間の悪いように仕向けて困る顔を見て喜んでるのではないか、ってな、あらぬ発想をどこか信じてるところがあります。


もっとも間の悪さを神様のせいにしてる時点で、あまりほめられたことではない・罰当たりかもっすけど、間の悪さってのは自分以外にどこか原因があるんじゃないかって、思いたくなることがあるんすが。