理想の恋愛モデル

「理想の恋愛モデル」っていうのがあるんじゃないか、っていうのを考えるとちょっといろいろ見えてくるものがありました。それを基準にいろいろいわれるのもまた、うざいな、と思ったことがあります。
例えば自分がゲイであることってことにゲイじゃない他人に対して優位性を持つと思ってる人って居て、その人の中には同性しか愛さないってことが「理想の恋愛モデル」でその理想モデルを順守してることが善いことと思ってるらしくそれはそれで間違ったこととも思えないのですけど、でも必ずしもそれが優位かどうかは一概には言えないわけですが反証なんてできないわけで、童貞でもなければ処女でもないどっちつかずのゲイとも云いにくいほうからするとその恋愛モデルを守ることがいいことのように言われるとなんとなく鼻白むところがありました。そのみち一筋ってことを高評価されたいのかもしれません。
ゲイでもなんでもない人の場合からも婉曲的に優位性を説かれることってあります。相手が同性だと恋愛うんぬんの前に同性愛っていう性別のくくりでまず区別するんだろうなと思うのですが、そういう人の場合に理解があるっていうニュアンスをあえて表示しながら寛容ですって態度をとる人がいます。たぶん同性愛を差別してはいけない特殊なものと思ってるか、同性愛という点においてはその人の中で「理想の恋愛モデル」に合致しないものの同性愛をなんで許容できるか説明できないけど許容することが正しいはず、っていう判断を隠すつもりがないからでしょう。それはその人の中の「理想の恋愛モデル」が優位性があると思ってるからこその反応なんだと思うのです。その態度に接するたびに寛容とか許容されなきゃならないものでないと思ってたほうからすると理解してくれてありがとうの一言でもいわねばならぬのかななんて思いつつなんでそんなこといわねばならぬのかな?なんて思うのですが。
その人の中でしか優位性を持たず有効でない「理想の恋愛モデル」なんてのを提示されてあてはめられてもうざいだけだしそんなものをもえるゴミの日に捨てりゃいいんじゃね?なんて思うのですけども。もっとも簡単に捨てられるものでもないのかも。