話しことばはもともと相手の語彙や想像力を前提にした伝達手段ですが、その語彙や想像力は差異がありある言葉が誰もがわかるとは限らず、目の前でしゃべられてもこちらがすべては向こうの云ってることについてわからないことがけっこうあります。
今週、業界が違う協議先でメモを取ってて最後にいくつか質問したあと、楠田(仮)さんは勉強熱心ですね、というようなことをおそらくお世辞を兼ねてかにこにこといわれました。でも単純な話で、メモはいまいち理解できなかったことやひっかかったりしたことをメモしてあとで説明を求めたりするからです。でもって私がよくないのはそこで「なんだかすいません」ってなことを云っちまうところです。時間をとっちまう、ということに罪悪感を感じて、そんなふうなもの言いになっちまうのですけども。
ちょっと前に年の上の先輩に似たような状況で「すいません」といって忠告されたこともあります。いまいち理解できていなかったことについてけっこう詳細に教えを受けて、つい「なんだかすいません」といってしまったのです。時間をとらせてすいません、っていうニュアンスだったのですが、ちょっと待て、悪いことをしたわけではないだろう、ってなことを諭されたのですが、たしかに「ありがとうございました」のほうが適切だったかもしれません。そのときは改めて、助かりました、ありがとうございました、と言い換えたのですが。
「時間をかけて教えてもらう」というのは愛情なのかなあ、とうっすら思いつつ、その愛情の返礼をなかなか口に出せなかったりします。