私はあまりものを他人に借りたり貸したり、ということをしないです。特に大事なものではないけれど、いちど貸したら連絡が取れなくなって、ということがあってから、以降なんとなくものを貸すのが億劫になって、貸し借りをあんまりしなくなりました。貸したものはほぼ返ってこないかも、という覚悟をもって貸しますし(だからか私の上を通過した人の本棚には貸した本がけっこうある)、かなり親しい人でないと貸しません。そのかわり借りもしません。借りる代わりにアドバイスを貰って買うことが多かったり。ものでなくてもあまり貸し借りというのは好きではなくて、できれば借りは作りたくないしつくらないように過ごしてきたし、相手が「貸しがある」と思っててもまずそれについていうことはありません。
ただこちらがそうは思ってなくても先方は貸しがあると思ってる人からその通りにすればリスクがでかいことをすすめられ、でもその人の想定どうりに動かず、そして動かなかったことについて「残念だ」というニュアンスのことをいくらかきつい調子でいわれてなんとなく悪い人のような気持ちになりながら「申し訳ないなあ」と思いつつ、他人の思うように動く必要はないんじゃね、と開き直ってるんすけど、もしかしたらこういう貸しを無視する行為を薄情というのかなあと自覚は最近あったりします。
そういや自分の上を通過した相手からもなつかない野良猫のよう、ってなことをいわれたことを思い出したんすけど猫がどんな貸し借りを意識してるのかはしらないし相手の思うように動いてるのかどうかはしらないもののたぶん自らの薄情さというのを私はおぼろげながら意識はしてて、なんだろ、常に良い子である必要ってのはないよなあ、と思いつつ、薄情とか情のようなものを意識しながら良い子ではない選択はどこかすこししんどかったり。