地下鉄というのは外が見えない区間があるので、広告に目が行くことがあります。今月はその広告で、ananがときめきについて書いてて[ときめかない症候群]とか書いてて、あとは片付けの本の広告もあって[人生がときめく片づけの魔法]ってキーワードだったはずです。ときめきって言葉があふれてて、なんとなく違和感を感じたんすけども。そもそもときめきって、そんなにいいものか、みたいな。


可能な行動に付随することに「ときめく」ということばをつかうと、「ときめかなくてもいいんですか」という脅迫になりえたりします。もしくは「ときめきスイッチ」というものがONでないのでは、という書き方があると思い当たるふしがあると一瞬「まずいんじゃないか」と思わせられたりします。
でも個人的には別にそんなにときめかなくてもいいはずで、そもそもときめきってのはたいていこの先どうなるんだろう、っていういい方向に見通しがつかないときに起きやすくて、結果として不安と表裏一体に近くつかれるもののはずで、デート時の相手にときめいたりとかの瞬間にときめけばいいのではないかなー、と。



でもなんだろ、ときめきという言葉は厄介で、確かにまったくないよりあったほうがいいというようなものだとおもうのですが、あったらあったで厄介な気がしてならんのですけども。よく先輩や上司にときめいたり、なんて話がフィクションであったりしますけど、下手すると恋わずらいみたいになってその人のことを考えると身にはいらない・上の空みたいな描かれ方しちまいます。つまるところ、ときめきってのは、ビジネスとかそういったものとは正反対の、魅力的だけど普通じゃない・正常な判断ができない、ほんとは始末に困るものはずなんすけど。


もっともそう考えるのはときめきをコントロールできないと思ってるからで、もしかしたら不器用な人間じゃなかったらコントロールできるものなのかもなんすが、ここらへんはわからなかったり。