私はロリコン趣味はないです。「ロリコンは悪なのか許されるのか」って事に限れば、別に他人に迷惑掛けなければええやん、と思う。で、中年女性が若い男の裸の写真をコレクションしてどこが悪いの?中年男性が若い女の写真をコレクションを集めてどこが悪いの?っていえばどこも悪くないのです。またロリコンの一種でしょうけど中学生と思しきアニメのキャラが出る同人誌を成人したフジョシの皆様が作ってやおいのあるストーリーを披露しても誰も文句をつけられないと思ってます。
ただ、それを社会の文脈に置いたときに「きんもー」という、不快表現を浴びせられるでしょう。その「きんもー」発言は理解しにくい不愉快なものを見てしまったときの、反射的反応です。反射的反応、不愉快を理論的に説明したりするのは難しいと思うし、また「きんもー」といわれたほうも理解を求める、ってのは難しいはずです。仮に中年女性が性器の写真のコレクションをしてたり、妄想にとどまる限りのロリコンがなぜいけないか、やおい表現がなぜいけないかなんて、たぶん誰も論理的に説明できやしません。逆に、なんで良いかも説明できないでしょう。良さも説明しにくいと思う。価値判断だからです。中年女性が若い男の裸の写真をコレクションするのはなんで?と問うても「若い方が良いし眼福だから」程度しか期待できませんし、やおいマンガを読む女性に何でやおいが好きなんですか?と問うても「萌えるからですぅ」とかじゃないかと思う。ある種の説明できない価値判断があって、その価値判断の根源は説明できないと思う。
で、批判するほうは、道徳的なことや皮膚感覚に近いところからの批判です。これも価値判断の一種でしょう。同性愛の話と同じで批判するほうは「生理的嫌悪感」とか「その性的指向が多数派でないし許容すれば秩序が混乱するし有るべき姿ではない」というレベルです(もっとも同性愛の場合は同性に対する生理的反応が伴う事情があるので価値判断だけではくくれないすけど)。話し合いをしても許容できるか否かに集中して譲歩がむずかしく、延々平行線で終わるでしょう。生理的嫌悪感が高ければ高いほど共感は困難で反感を買い易いでしょう。共感が困難であれば、溝は埋まりにくいはず。

平行線の状況下の中で、道徳的なことや皮膚感覚に近いところから発する批判をどうやってかわすべきなのかってことを考えるとき、やはり相互に判りあえる筈がないのだからと蛸壺的状況の中に入るしかないのでしょうか。ちと、いろんなことを、つらつらかんがえちまいました。