禁忌

前回の考察が全然考察になってない気がしますが。
たぶん今回も考察にならん気がします。

腐女子腐男子の皆様におかれましては、たぶん同性同士の恋愛(つまりいちゃいちゃ)が理想の恋愛像であるとは考えにくいのです。いや、あれが理想だ、という方も居るかもしれません。ただ、惹かれる理由のひとつとして禁忌破りがあるんじゃないかと思うのですが、どうでしょうか。中島梓御大の「反逆」は言葉的に先鋭すぎるとはおもいますが守るべき禁忌という建前を捨てて実際の本心のままに主人公らが行動することに、禁忌は破るべきではないという保守的思想が身のまわりにあって禁忌を守らざるを得ない自己の代わりとして、腐男子腐女子の皆様は禁忌破りの代わりを彼らに託してるのではないかとおもうのですが。
ただショタであるとかSMであるとか軟禁であるとか、近所のブックオフジュンク堂で見る限り禁忌破りの度合いが不思議とエスカレートしてるのは何故なのか判りませんが。

実際、身内(兄弟姉妹)がやはりゲイやレズだと抵抗が多少あるとおもうのです。しかし他人がゲイやレズであったら、彼ら彼女らが周囲の無理解と闘いながら彼ら彼女らの真実とおもう恋愛に燃えてるのを見て、羨ましいとおもうことは無いでしょうか(ただ、単にイケメンとできればいい!というゲイも知っているんですけど)。革手錠ほどでは有りませんがこの世の中に存在する禁忌は我々を拘束します。その拘束から自由になることをどこか望んでいるのではないでしょうか。

もっともこれはあくまで傍論です。禁忌は破られてはならない、という保守的な思想があって成り立ちますし。

インターネットが普及するまで、わいせつ画像を含めて性的羞恥心をあおるものはたぶん入手困難でした。同性愛者向け雑誌には写真交換等のための文通欄があったと聞きます。ところがネットの普及により気軽に入手できるようになった。ひょっとしたらそこいら辺に鍵があるのではないかとおもいます。アンダーグラウンドであったSMやら同性愛等禁忌破りが大手を振って?世間にでまわる様になった以上、同性愛等禁忌に対する意識も高まった。と同時に禁忌破りをする精神的快楽感も、増したとおもうのですが。人間が快楽を追求する動物であるという前提と、禁忌破りに多少の快楽があるという仮定のもとに考えてみたのですが。