腐女子腐男子は時空をとべるのか

野田秀樹が以前ある演出に対して痛烈な批判をしていて、登場人物に「時空を飛んだ」と言わしめれば、時空は本とに飛ぶのか、と。
飛ぶわけ無いです。
また、誰もそんな言葉だけで時空を飛んだとは観客は納得しないでしょう。リアリティというか演出でそれなりの補強をしないといけないのです。ほんとは。
しかしおそろしいことに一時、いくつかの劇団でそのせりふだけで「時空が飛んだ」ということになってしまっていたのです。

おなじことが、リアリティの無さという点で、いわゆるやおい小説というか、BL物にも多いとおもうのです。つまり、お約束として、予め、同性同士で恋愛しますよ、という記号を付記することによって、時空を飛んだことにしてるのです。時空が簡単に飛ばないのと同様に、同性はそんなに簡単にキスはしないし告白はせえへんぞ、と。因果関係がはっきりわかるプロセスというか、ああこういうこともありえるなと読み手にわからせることをなぜ放棄するのかがわからない。
読んでるほうがそりゃ納得しているのなら何の問題も無いのですが、個人的には何でこんな本を時間をかけて読んじまったのだろうと自己嫌悪に陥ります。同じことがミステリィの駄作を読んだときにも感じることなのですが。