「笑子の墓」を読んで(柳家小三治・講談社文庫『もひとつ ま・く・ら』より)

古本屋の投げ売りの棚にあった文庫本『もひとつ ま・く・ら』(柳家小三治講談社文庫・2001)を先日買っています。本書の題名になっているまくらというのは落語の本筋の前に導入として語る部分のことで、(すでに故人になってしまわれたのですが)著者の柳家小三治師匠はそのまくらの部分も定評のあった方で、ので、投げ売りの棚なので安かったというのもあるのですが本の題名だけをみてジャケット買いした次第です。ここで

お題「この前読んだ本」

を引っ張ると、本書はほとんどが落語会などでしゃべったまくらの文字起こしです。ので、もしなにかしらを書くとしたら・本の紹介をするとしたら落語に関係することを書くべきかもしれません。でも空気を読まずにちょっとズレたことを書きます。本書でいくらか異質なのが「笑子の墓」と名付けられたまくらです。

以下、幾ばくかの不粋なネタバレをご容赦ください。

小三治師匠が真打になる直前に沼津に招かれ、その沼津でボウリングをしている際に

「落語をやってください」

と云ってきた年下の少女が居ました(P75)。当時テレビで三本ほどレギュラーがあり人気者になりかけていて、しかしその仕事に戸惑ってもいて、その後小三治師匠はタレントとしてではなく落語を軸に小三治の名を大きくしてゆくのですが、沼津で云われたことがお守りになっていたとも述懐しています(P87)。年下の少女は名を笑子といい芸者の娘であることは本人が云っていて、機会があったら小三治師匠はいつかその笑子さんをお座敷に招くつもりでいました。過去形で書いたのは「笑子の墓」という題の通り、それが叶わなかったからです。小三治師匠は沼津に近い静岡の東部に招かれた折に手掛かりを求めて訪ね歩くのですが、その顛末が本書には描かれています。

詳細は本書で確認していただきたいのですがその必死さが小三治師匠の中における笑子さんの存在の大きさを物語ってるような気がしてならず、ひどく印象に残りました。ほんとはまくらなのですがよくできた私小説を読んでいるような、ひりひりとした度数の高い酒をあおった後のような読後感を味わっています。もっとも私小説ってなんだよ、てめえ説明できるのかといったら怪しいです…って、ねえ、それじゃダメじゃん

もの知らずゆえの怖いもの知らずついでに個人的にくだらぬことを書くと、大人になると忠告してくれる人というのが減ってくる気がしてならないのですが、それでも云ってくるその忠告はおそらく愛情に近いもののはずです。小三治師匠と私を同列に並べるわけにはいきませんが、貰った愛情を返すために笑子さんの手掛かりを探す心境というのはひどく理解でき、ので、「笑子の墓」がひっかかったのかもしれません。

本書は他にも20ほどまくらが収録されています。すべて口語体なのでスーッっと入ってきます。感想文の書き方とかよくわからないもの知らずなのでこのへんで。