酒にまつわる個人的な経験からくる雑多な感情

以前書いたことがあるのですが飲酒後に(よい子のみんなはわからなくていい)いたすことをいたすホテルで先にシャワーを浴びて待っている間に寝てしまい、目が覚めてから「あ、起きた」との声が聞こえ隣に人がいて全裸であることに気が付き何が起きたのか理解してそののち血の気が引きあわてて全裸で土下座したことがあります。幸いなことに全裸で土下座というのは人生でその1回だけです…ってそんなことはどうでもよくて。

話はいつものように横にすっ飛びます。

落語だと芝浜という名で歌舞伎だと縁起をかついで奇数にするので芝浜革財布という名で知られている、ツいていないと考えている魚屋の主人公が年の瀬に大金の入った財布を拾ってしまう物語があります。その主人公はお酒が好きで、我が身に降りかかってきた偶然を奇貨として酒を呑んでしまい、それを見かねた奥さんが一計を案じるのですが…ってそのあと物語がどうなったかは落語を聴くか歌舞伎でご覧いただくとして。

物語そのものはかつて三遊亭圓朝が「大晦日」「財布」「酔っ払い」という三つの題を貰って仕立てたフィクションが土台になっていて、フィクションに誘発されるのは愚の骨頂かもしれぬものの酒を呑む主人公を知りそしておのれの土下座をかえりみて

「酒が人をダメにするわけではなく、酒は人のダメなところを露わにするだけである」

という仮説を強く持つようになっています。その仮説の論証は横に置いておくとして、仮説を持ってからは断酒は出来そうにないので深酒を避け、いまのところ酒にまつわる土下座するような致命的な失敗はありません(もちろん致命的じゃない失敗はないとはいえない)。これを書いているのはフィクションに影響される愚かなやつです。

さらに話は横にすっ飛びます。

渦中のテレビ局のハラスメントにまつわる報道で、酒の席で異性の前で裸になった人がいて、しかし本人は酒をかなり呑んでいて覚えていない、という旨の弁解をしていたのを知りました。「酒が人のダメなところを露わにする」という仮説を地で行くような話で、にもかかわらず酒のせいにするのはずるいんじゃないの?感がデカいです。ですがそもそもの問題として酒のやらかしがゼロではないので石を投げる立場にはありません。

もちろんハラスメントは許されるものではないしそこは批難されるべきもので、なおかつ、ハラスメントを行った人に対してはLGBTに対する過去の言動から決して良い印象を持っていないのでどうせなら力強く石を投げたいというどす黒い意思があります。が、おそらく一般的でない酒にまつわる個人的な経験からくる雑多な感情がついてまわってそれをためらわせています。

話がとっ散らかって恐縮なのですが、落語や歌舞伎に触れる機会があって酒との付き合い方を修正できたのは個人的にはとてもプラスになったのかな?感が、それらの報道を眺めてて強くありました。口述文学や演劇がなぜあるのかなんてのは文学部ではないから知りませんが、古典と呼ばれるもののその余得に与れたのはラッキーだったのかなあ、と。

うまくまとまらないのでこのへんで。