ここしばらくの愚行(コーヒーについて)

たぶん何度か書いてると思うのですが「美味しい」というのは繰り返しの経験と舌の慣れと思い込みが何割か入っているのではないか?と思っています。ここではてな今週のお題「コーヒー」を引っ張ると小学生の頃から私は粉のコーヒーそれもキリマンジャロをほぼ毎朝飲んでいてそれに慣れていて、いわゆるインスタントコーヒーは我慢すれば飲めないことはないけどまず自腹では買いません。缶コーヒーも買うとしたらブラックです。自称するのはカッコ悪いですがコーヒーだけは舌がいくらか肥えています。

いまでもほぼ毎朝コーヒーを飲みます。慣れというのはおそろしくてキリマンジャロ以外の粉にしたとしてもそのうち「コレジャナイ」感が募り、そうなるとキつくなってきて、必ずキリマンジャロに戻ります。ここしばらくのコーヒーの価格の高騰は正直キツく、くわえて節約のためにはキリマンにこだわらないほうが安くつくのは承知しているものの、いくらか高い買い物を続けています。贅沢をしているという自覚はありますし、贅沢は敵だという考え方も知っています。が、勤労を前にしてモチベーション維持のためというか健康で文化的な最低限度の生活のためには多少の贅沢は敵ではなく味方のはずです(異論は認める)。

合理的ではないし賢くもない愚かな選択をしている自覚はありますが手を出せなくなるギリギリまでこの生活を続けるつもりでいます。もっとも財布のダメージをちょっとでも軽くするために8のつく日がnanaco決済でヨーカドーが5%引きになるのでそのタイミングで粉を買うことが多いです。

最後にくだらない話を。

東海道新幹線では以前は車内販売があってコーヒーが買えていて、冬や雪の日などに重宝していました。

先日利用した山形新幹線では車販がいまも残っていてコーヒーを頼もうとしたのですが残念ながら缶コーヒーのみで、しかしブラックだったのを奇貨としてそれを買い求めています。つくづく思うのですが、流れ去る風景が味覚に影響を与えることなどないと知りつつも、新幹線で飲むコーヒーって、とびきり美味しいわけでもないものの・どこにでも売ってる缶コーヒーであっても、なんだか「いつもと違う」感があったりしませんかね。そんなことないかもですが。これ以上書くと舌が肥えてるわけではなく単に雰囲気に流されやすい証明になってしまうかもしれないのでこのへんで。