人は工業製品ではありませんから個体差があって、なので、誰かがこれが美味しいといっても他の人が同意するとは限りません。それが如実に表れるのが日本酒で、たとえば、香川の酒は香川では愛飲されますが、となりの高知だと不思議と厳しいものがあります。
ので、以前どこそこでおいしい酒を呑んだことがあると自慢している人がいてなんだか独断からくる自慢しいみたいでイヤだなあ…と思った経験があって「酒が人をダメにするのではなく酒は人のダメなところを露わにするだけだ」とあらためて思うようになりました。以降、酒に関して書くときにはいくらか慎重になっています。なんのことはない、酒について書くことはおのれのダメな点を露わにしてるのと同義のはずだからです。
とはいうものの。
左党を自称するほどではないものの酒を呑むことは大好きで、東京以外の土地で東京では簡単に手に入りそうにない酒を探すことがあったりします。先日下越から米沢へ抜けた際も米沢市内で東光という銘柄を出している酒蔵を見つけ、寄っていました。
経験則で近くに花崗岩の山があるとそこの酒は個人的に好みの味であることが多く
その酒蔵は吾妻山系の水を利用していることを明示していて、ので、吾妻山系の地質が花崗岩かどうか訊いてから買おうかな…と考えていました。
でもなんですが。
500円で試飲ができ、その試飲した酒がフルーティで甘みと旨味がそこそこあって、吾妻山系が花崗岩かどうかを訊かずにほぼ衝動的に試飲した酒に決めちまっています。ここではてなの今週のお題「感動するほどおいしかったもの」を引っ張るとその米沢の酒です。でもって、英語の感動を表すスラングにat a loss for wordsってありますが、舌にどストライクのときには理屈や理由の言葉が要らないことってありませんかね。ないかもですが…って、ここまで書いてきてかつておのれが嫌ったおいしい酒を呑んだという自慢をしてることに気がついています。やはり酒は人のダメなところを露わにするようで。
このままだと酒好きのダメ人間の証明で終わってしまうので話を横にすっ飛ばします。
米沢で里芋とネギと牛肉と、こんにゃくに豆腐が入っている郷土料理の汁物である芋煮を食べて芋煮童貞(…芋煮童貞?)を失ってきました。名物にうまいものナシというの言葉がありますがそれがウソに思えるようなシロモノで、地域によって差があるようですが米沢の場合は醤油ベースです。「これ、東京に戻っても作れる?」と彼氏に云われて「なんとかする」と安請け合いしたものの、ダシがなにかが判らずに居ました。宿の人に訊くと不思議そうな顔をして「牛肉ですよ」と一言。咄嗟に意味がわからずにいると追い打ちをかけるように「昆布とかのダシはつかわなくて、牛肉のうまみだけなんです」。つまり、うま味は牛肉を主に具材から出るものだけのシンプルなものでそれに醤油と酒で味を調整してるそうで、予想していた答えと異なっていたせいか、目からウロコでした。
おいしいものって案外シンプルなのかもしれない…とも米沢の芋煮の経験から思ってるのですが、人は工業製品でなく個体差があって、なのでここらへん百家争鳴かもしれないのでこのへんで。んだらばまだの。