恥の多い人生

これを書いているのはメタボとは無縁な代わりにあまり体格が良いほうではありません。ので、おのれの身体というものをそれほど好きにはなれていませんでした。もっとも(十数年前にあらぬ疑いをかけられて反証として)上半身裸の写真を公開していた時期があるのですが、劣等感があると「細い」といわれつつも「キレイ」と褒められると悪い気はしませんでした。悪い気はしませんでしたが公開していたその画像をPCに取り込んで保存していたのをパートナーに見つかって怒られた…という報告を受けて以降は「おれ、なにやってんだろ」感がでてそれ以降止めています。それらの経験から、褒められるのは悪い気はしないけど他者から褒められた程度では好きではない部分を好きにはなれないし、くわえて、ちやほやされたいとか褒められたいという欲求は冷静な判断をいくらかマヒさせる麻薬なのではないか?とも思うようになりました…って話がズレた。

それより前の問題としてというかそもそもの話として、好きというのはなぜか不思議とプラスのイメージがありますが、それをこだわりとか執着と考えれば、なにかに執着し好きをプラスと思う人の脳内にしかその好きは意味はないのではないか?感が拭えません。いくばくかわかりやすく書くと『おーいはに丸』のはに丸くんがシックスパックというか割れてる腹筋を持つ人に疑問を持っていて「太ってたら幸せになれないの?」と問うていた番組を以前NHKで視聴したことがあって、シックスパックの腹筋を良いとか好きとか自慢したいと考える人の脳内にしかシックスパックは意味がないのではないか、という仮の解を持った上での考えです。もちろん、ここらへん、誰もが納得する答えはないのでは?感があるのですが。

ややこしいことは横に置いておくとして、いまだに私はおのれの身体のことが好きではありませんしおのれに対しての執着もさしてなく、くわえて「自分のことが好き!」というようなポジティブな前向きな生き方は疲れるだけじゃね?と考えています。ので、ここではてな今週のお題「自分の好きなところ発表会」を引っ張ると、えーそんなものなくてもいいじゃんよー?感が強いです。

と、ここで終わらせると怒られそうなので、続けます。

グダグダいってねえでてめえの美点をひとつ挙げろ、さもなければ殺す、と銃口を突き付けられたとしたら、疑問に思ったことを訊くは一時の恥と考えてわりとそれを口にしてしまう点を挙げます。はじめて福岡へ行った際に飲んだ味噌汁が東京とも福井とも異なることに驚愕し、仕事が終わった後に「くだらないことなのですが」と断った上で味噌汁が東京と異なるのは何が違うのか?について質問し、あごだしの存在を教えて貰っています。似たようなことを広島のいりこだしでもしでかしていて…って一時とはいえあちこちで恥の多い人生を送ってきたことの自白になってきたのでこのへんで。