いつものようにくだらないことを書きます。
きわめて個人的なことなのですがいまから30年以上前に高校の時の文化祭で女装コンテストというのがあり、実行委員会であったがゆえに本選に出なかったものの軽いノリではじめて化粧をし、いまでいう壁ドンをされながら身体のでかい後輩に「かわいい」と云われ、報復としてどついたことがあります。その経験から「かわいい」というのは評する側が評される側の意図と関係なく一方的に発する言葉で、かつ、評する側と評される側が対等でもないことを理解しました。後者について補足すると対等だと思ったら壁ドンなどしないでしょうし、よく子猫の動画などでかわいいという評価がなされますがあれは猫は人と対等ではないから云えるはずです。以降、「かわいい」という言葉を人には使用しなくなりましたし人以外でもその言葉を使うのに消極的になり、くわえて、社会人になって歌舞伎を知り女形の人の演技を眺めて「可憐な」というほめ言葉を知ってからは「かわいい」というのはイケメン同様に実力がない人に対して他に褒めようがないときの最終手段なのではないか?と考えるようになっていました。
過去形で書いたのはわけがあって。
ここ何年か真夏に埼玉の奥秩父へ出かけてるのですが
奥秩父の三峯神社の拝殿前に鎮座する眷属であるお犬様≒狼が妙に気になっていて、スマホなどで撮っています。ここではてなの今週のお題「最近見つけたかわいいもの」を引っ張りつつ、この執着はなんなのか?を考えると、この凛々しくもなければ可憐ともいえないお犬様≒狼を、(神の使いであることを考えるこの言葉を使うのは失礼なのですが)私は世間でいうところの「かわいい」と思ってるのかな、と。
三峯のお犬様≒狼のおかげで「かわいい」が揺らいでしまっていて「かわいい」が改めてどういうことなのか正直いま言語化できるか?と云えば怪しいのですが、気が付いたことのひとつとして「かわいい」は他人に届くことを前提としない独り言的な感嘆詞のようなものなのかな、と考えるようになっています。
狼のかわいさなどなくてかわいい狼が奥秩父に居るということだけかもしれぬものの、なにが引っかかるか?と云えば、長いしっぽと耳です。飛躍を承知で書くと、かわいさの本質は長いしっぽとぴんと立つ耳にあるのではないか、と(異論は認める)。