忘れ物に気が付くメカニズム

先日『味つけはせんでええんです』(土井善晴・ミシマ社・2023)という本を読んだことについて書いたのですが、本書の主たる趣旨とはそれるものの、その本の中に忘れ物についての記述がありました(P72)。土井先生は玄関の鍵を閉めたあとやそれからしばらくして忘れ物に気がつくことが多く、はやめに出ているので時間は問題なく仕事も支障はないものの、見かねた周囲から玄関先にチェックリストを貼り出され(P72)たりしていたそうで。「なぜ出かける前に忘れ物に気が付かないのか?」という疑問が有ったものの、理由は深くは考えることをなさらなかったそうなのですが、ある日、対談用に読んでいた(光文社文庫版もある)岡潔という数学者のエッセイ(『春宵十話』所収「宗教と数学」)の

発見の前に緊張と、それに続く一種のゆるみが必要ではないかという私の考えをはっきりさせるため、いくつかの経験を振り返ってみよう

という部分をきっかけに、家を出るまではあれをしようこれをしようと考え緊張の連続なのに

あれこれ思いながら家を出た瞬間に緊張が緩むのです

(P76)。

ということに気が付き、緊張が緩むことと忘れ物に気が付くことの関連性を土井先生は発見します。

話がすっ飛んで恐縮なのですが・個人的なことで恐縮ですが、用意していた「退勤後に買ってくるものリスト」を自宅に(それも冷蔵庫のドアにマグネットで張り付けたまま)忘れたことに気が付き「あ、やべ」となるのがたいてい退勤後の大丸やヨーカドーにおいて、です。つまり、緊張が緩んだあとです。ので、土井先生と私を同列に並べることは大変おこがましいのですが私も土井先生に似たことをしていたのか…感がありました。土井先生もそうなのですが私も仕事に支障をきたすようなやらかしをしていないのがせめてもの救いです。

もっとも、土井先生は「理由を自覚して、思い出す直前をイメージできたのでもう忘れものはしないと思います」と書きつつもそのすぐあとに「…ほんまかいな」と綴り(P76)、さらに自らについて「自分は間違う、忘れる、自分を信じていない」(P78)と続きます。くわえて、土井先生が本書発刊後に忘れ物をなさらなくなったのかどうなのかについては知るすべはありません。ので、土井先生の対策が有効かどうかは謎です。なお本書では緊張と緩和と美や料理について飛躍はあるものの根は繋がりつつ語られています。

忘れ物に気が付くメカニズムの土井仮説を本の本来の趣旨とは異なるもののの本書で知ってそれは確実に腑に落ち、本書はその点で個人的に有益だったのですが、チェックリストから漏れるような常に必要ではないものなどの些細な忘れ物を無くすことについてはおそらく解はないのかなあ、と。ゼロには出来そうにはないので「ま、いっか」と受容するしかなさそうなのですが。

このまま続けるとなんだかだらしがない人間の証明になりそうなのでこのへんで。