半田散策その1(旧中埜半六邸見学)

新名古屋…じゃねえ名鉄名古屋から名鉄の特急で30分くらいのところに半田という街があります。江戸時代から酢の生産や酒の醸造で栄えた街で

街中には酢や酒の出荷に便利なように運河があります。その運河のほとりにあるのが

明治22年築の旧中埜半六邸で、当時は地主かつ豪商であった中埜半六家ですが戦後はこの屋敷を手放さざるを得なくなり、料亭や大相撲の名古屋場所の際の二所ノ関部屋の宿舎などを経て平成になって半田市が取得して今に至ります。

建物の一部で料理店と洋菓子店が営業中で、二階が見学自由なので見学していました。

元々の中埜家時代からそうであったのか料亭時代に手を加えられたかどうかはわからぬももの細部にきちんと仕事がしてあって、階段で二階へあがったところの天井は竿縁天井なのですが天井の竿縁は樹皮をそのままにした(おそらく)桜の木かなにかで、うしろの白壁にあけられてる化粧窓の形状は竹を上下に通したうえで(半田を含む知多は紡績工場が一時多かった連想からか)糸巻を連想させる形状です。

これもあでくわえたのかどうかわからぬものの窓の上に紙状のものでロールカーテンが誂えてありました。

あとでつけくわえたとしても畳の部屋ですからGJ!です。

冷房のない時代に建てられていますから西日が差すようなところはひさしは長めで、庇の下にガラス戸、そして廊下をはさんで和室がある構造です。

さて、正面に吉兆である亀甲の飾り窓がありますがその横のピンクの壁のところがなぜかトイレです。

別の角度というか南面からみて中央のつき出てるピンクの壁のところが当該トイレで、陽当たり良好のところにどうしてトイレを作ったのか?が個人的にはこの建物の最大の謎です。「日当たり良好のトイレを作ってはいけません、という法律があるわけではないから」と云われればぐうの音も出なかったのですが、施主や図面を引いた棟梁たちの脳内に現代のわれわれが追い付いていないわけで。ここらへん建築の不思議で素敵で興味深いところなのですが。

敷地内の北側は庭園で、そばの運河から水を引いてくる設計になっていました。いまは引水はしていなくてその遺構が残るのみです。

海が近いせいか植生は松が目立ちますが

松に混じっている紅葉がちょうど見頃にさしかかってて対比が見事でした。施主が考えたのかはたまた植木職人が考えたのか、いずれにせよこれについては意図がよくわかるというか。いま居ない人の考えがうっすらわかったりわからなかったりするのが建築と庭園の面白いところだよなあ…と雑な感想になってしまったのでこのへんで。