ギンナンを眺めながら

料理における「さしすせそ」はさすがに判りますが、さしすせそのうちの「し」の塩について、料理学校等に通ったわけでもないので正直よくわかっていないところがあります。鍋やフライパンを前に醤油を手に持ち「ヒゲタ醤油に未練はないが~」と歌う程度に関東の醤油の味付けの文化圏に育っているので、塩や塩の味付けというのがピンときません。ずいぶん前のことですが鯛の塩焼きにしようとして鯛を前にして果たして塩をどれくらふれば良いのか最初まったくわからず、調べることからはじめてます。真面目なことを書くと井伏さんの『黒い雨』の中に浅蜊の塩汁というのがでてくるのですが、それがしょっつるのような魚醤の汁なのかいわゆる潮汁なのかはたまたそれらとはまったく違うものなのか、いまだにわからなかったりします…ってこのまま続けるといかに無知かを晒すことになりそうなので話を変えます。

塩をよくわかってないくせに去年はギンナンの塩炒りにチャレンジしています。封筒にぎっちり入ったギンナンを3袋貰ってて捨てるわけにもいかず、なんとかして消費しようとしたのです。しかし上に書いたように料理の基礎知識がありませんから調べた上で5個当たり塩大さじ1杯というのをきっちり守ったうえでのことで、これならアリだなと考えて酒のアテにしています。なんだか実験をしている感覚に近かったのですが、塩もギンナンもいまいちよくわかっていなくて、いまいちよくわかっていない食べ物を前にするとそんなふうになりませんかね。ならないかもですが。

さて、今年も封筒に入ったギンナンに対峙することになりました。去年同様3袋です。ギンナンの塩炒り(の実験)はもちろんのこと、炒め物に入れたり味噌汁に入れたりしながら、消費するハラ積もりです。封筒にぎっちり詰まったギンナンを眺めてて「ああもうそんな時期なんだなあ」と思わされました…って、このままだと食べ物に反応するパブロフの犬並になっちまうのでこのへんで。

とってつけたように文化的な人間ぽく付け足すと週末の東京の多摩地方は紅葉が見事でした。