「ざまあみやがれ」(もしくは挫折や失敗の言語化について)

いつものようにくだらない話を書きます。

前世紀なので確実に24年以上前の20代前半の頃、いまとなってはなんという番組かは完全に忘れてるのですが、夜遅くのトーク番組にピーコさんが出ていました。以前からシャンソンをピーコさんは勉強していて日頃の成果を披露しようと会場を押さえお世話になった人を招いたそうなのですが、その日だったか直前だったかに阪神大震災が起き、当日になって歌えそうにない精神状態であることを告白したのだそうで。それを聞いた招かれてその場にいた美輪明宏さんが「ざまあみやがれ!」と告げ記憶に間違えなければ代打で歌ったことを、ピーコさんは淡々と、語っていました。

ポンコツなことを話すと私はそれをラブホのテレビで視聴していて(よい子のみんなはわかんなくていいのですが)ずっとそのままというわけにはいかない事情があって、なぜ美輪さんが「ざまあみやがれ」と告げ代打で歌ったのか?ピーコさんがなぜその話をしたのか?はテレビを消してしまったのでわかりません。謎です。

ただその一部始終が妙に印象に残っていて・不思議と忘却できずに居て、他人から「ざまあみやがれ」といわれるような挫折の経験を言語化することは、もしくは、悲しみとか失敗とかをなかったことにせず他人に話せる程度に整理してしっかり記憶しておくことは、実はとても大事なのではあるまいか?とそのあと考えるようになっています。

ここで自白すると、ピーコさんにいくらか影響を受けています。といっても私は女性っぽい口調はガチでできません。webで拙い文章を書くようになってからこちら、このidで知った人とは誰とも会わない前提にしつつそのかわり、挫折とか失敗も含め体験したことを書くように意図的にしています。それが何の得になるの?何が楽しいの?と云われるとキツいのですが、そもそも得するためにも楽しむためにもやっているわけではなかったりします。たぶんラブホで偶然見たものがピーコさんが出てない他の番組だったら失敗を隠して書いてるはずです。

ピーコさんに関する報道を知って出演していたテレビや著作をほぼ知らないので特に感慨はないのですが、もういっぺんあの番組、ちゃんと見ておきたいかな、というのはあったりします。もっとも、メーテレだったはず…という程度しか記憶がなく手掛かりが少なすぎてさがしようがないのですが。