記憶に間違えなければ10年位前に京都でタクシー会社が八条口を起点にバスを運行しようとしたことがありました。しかしいつの間にかその計画は立ち消えになり、その後、どういう意図かわからぬものの京都の市バスは各系統の収支をバス停に掲示するようになりました。祇園や金閣寺銀閣寺などを通る黒字路線で儲からない赤字路線を支えてる構造と思われます。
いつものように話は横にすっ飛びます。
与党の総裁選である候補が規制改革の一環としてライドシェアの全面解禁を打ち出していました。一見いいことのように思えますが路線バスが黒字になる儲かるであろう地域での新規参入は確実で、京都に限らず黒字路線の収益で赤字路線を支えるのはどこも同じのはずで、ライドシェア全面解禁はその黒字路線を赤字にしかねず結果的に地元の足を干上がらせる施策ですからマズイのでは?と想像していたのですが、やはりというかなんというかその候補の出身県以外支持が広がってなかったのが印象的で、そして安堵しています。改革という旗印を良い意味で盲信せず懐疑的になってるのでは?という印象を受けたのですが、政治には詳しくないのでヘタなことは云えません。
さらに話は横にすっ飛びます。
何年か前にいまは与党の一員になってる代議士が「LGBTは生産性が無い」から行政支援について予算をつけるべきではない、という発言をしています。根拠が調査や統計に基づくものではない「生産性が無い」というのがとても独創的で、しかしそのロジックを貫徹すると恣意的な行政というのはまずいですからおよそ生産性のないものは行政支援の予算がつけられなくなります。そこらへんの破綻を当人が理解していたかは不明です。余談ですがそこらへんについて前大阪市長が「おかまの人だって納税してるやん」という趣旨の反論を当時即座にしていて、しかしそれだと「納税してるから生産性があって予算をつける」というロジックに転がってしまう(つまり納税してない病人や子供には行政支援の予算をつけることができないということになってしまう)ことに気が付いたのかその発言を即撤回してます。前大阪市長は横に置いておくとして、常人では考えつかぬようなその独創的な思考を持った代議士がなぜかある陣営の推薦人に入ってて、結果的にはその陣営が敗北したことに安堵しています。
さて自分が投票権が無い選挙の結果をみて安堵したのか冷静に考えるといくらか滑稽なのですが、安堵の反対は懸念とか憂慮ですから、気が付かぬうちに政治をそういうふうにみていたのかな、と。
以下くだらぬことを。
今年に入ってから英国の選挙で高校での数学教育を強化すべきとする保守党といやいや初等教育での数学教育が重要だという労働党との政策論争を知ったのですが、そんな論争を日本でもやってほしいと思ってるのですが、望み薄かなあ…