上野と浅草を結ぶ浅草通りというのがあり寛永寺と浅草寺に至近ということもあってか仏具や神具の店が並んでいます。話がいつものように横にすっ飛んで恐縮なのですが同性2人で入れるラブホというのは東京ではそれほど多くなく(鍵を手渡しとしてるところが多いのでそのとき断られる)、でもなぜか寛容なところが仏具屋神具屋街の近くに一軒あり利用したことがもちろんあって、この週末、上野に出たついでに神具を探しに行って浅草通りを歩いてたらそのことを思い出しています。もっとも、マットがあって(よいこのみんなはわかんなくていい)泡踊りとかくだらぬことをしたことは覚えてるものの建物の外観とか道順とかはさっぱりで、見つけることができてません。別に休憩するつもりはなかったのでどうでもよいのですが、おのれの記憶が皮膚の触感の記憶>視覚の記憶という順になってるところをはっきり自覚しています。
不忍池に足を伸ばすとハスが咲いていて、しかしなんかこう育ちすぎじゃね?というレベルです。もっとも、鼻をつく独特の匂いがあるので去年もハスの花が咲いていたことは覚えていても、どれくらいまで葉が繁っていたかなんてことは覚えていませんから云い切ることは出来ません。嗅覚と視覚だったら、どうも嗅覚>視覚のようで。
博多華丸大吉師匠の漫才の中に「人間の記憶は不確かである」という趣旨の主張をする中洲産業大学卒のお父さんがでてくるものがあるのですが、立て続けに実感させられると「なんかもうほんとにそうだよな…」とちょっと弱気になっていました。ただ記憶が不確かであるからこそイヤなことも忘れちまうことが出来るのが救いですが。
とってつけたようなことを書くと不忍池のハスはもうちょっと楽しめそうです。