『団地の時代』を読んで(もしくは多数決の怖さについて)

いくらか品の無いことを書くといたすことをいたすとき声が出ちまうことがあります。昭和の時代に飛鳥田さんという横浜市長が居てどちらかというと革新系の首長でその頃にラブホテルを規制する条例の機運があったのですが肝心の市長が「横浜は貧弱な住宅事情なのにそういうわけにはいかんだろ」と潰した、というのを事実かどうかはわからないのですが学生時代政治学概論かなにかで聞いたことがありました。つまるところ、音が漏れないような私的な空間を持つことが困難な時期があったわけで。ここで

お題「この前読んだ本」

を引っ張ると『団地の時代』(原武史重松清新潮新書・2010)という昭和の時代にできた団地について書かれた本を読んでいます。団地に付随していわゆるポルノの団地妻についても触れられているのですがポルノ的側面は横に置いておくとして本書では丸山眞男を引用しながら

原:(略)ところが団地というのは、日本の住居ではじめて私的空間を積極的に認めるスタイルを確立させた。シリンダー錠で鍵をかけてしまえば、完全に公的空間から隔離されるわけですから、若い夫婦にとってどれだけ大きな魅力だったかわからないと思いますよ(P154)

という記述があって、上記の横浜市政の噂話を思い出し、鉄筋コンクリの団地の住環境はプライバシー確保の方面から考えてもきわめて革命的なものであったのかを知りました。ここらへん建築に興味があっても考えたことすらなかった側面なので目からウロコだったのですが。

改めてちゃんと書くと本書は戦後に登場した団地が日本人にどういう影響を与えたか?という方面から東久留米の団地育ちの政治思想史の学者と多摩ニュータウンで塾教師をしていた小説家が戦後の日本を概観した本です。

なぜかフィクションとしてのポルノの団地妻が何度か出てくるのですがその背後にあるものとして、公団の団地の場合は洗濯機などの家電普及率が高くそのぶん女性が家事から解放されていたのではないかという仮説(P155)がなされていて、フィクションは横に置いておくとして家事から解放された時間を利用して視線が向いたと思われるのが団地内の活動で、団地内の自治会活動などに女性が役職をある程度占め実務を担うようになっていったことが紹介されています(P149)。

その団地内の自治会活動について書くと場所によっては保育園や幼稚園の誘致などに威力を発揮するのですが(P96)、興味深いのがパチンコ屋や男性向け風俗のほかボーリング場の反対運動などが場所によっては発生し(P142)ていた点です。本書では(おそらく誰もが反対しにくい)「子供の教育上」というのを大義名分として生理的嫌悪感を催すものを含めいろんなものを団地内では排除し人工的な管理空間をつくりあげ、その抑圧が子供へ行ってるのではないか(P175)ともとれる指摘しています。それが事実かどうかは専門家ではないので論評できませんが、仮にそれがただしかったとすると・余計なことことを書くと、いまの都知事はチルドレンファーストを掲げていてそれをつきつめれば管理空間の再構築になりかねず東京全体で同じ轍を踏んでしまうのではあるまいか?という気がしないでもなかったり。

話を戻すと、団地の話より興味深かったのが「民主主義=多数決」という発想についての話です。それが「みんな」について多数決とつながる怖さについても触れられています。

重松:(略)多数決の問題でいうと、<みんな>っていう言葉にすぐ言い換えられるんだよね。「私が決めた」と言わずに「だって、<みんな>で決めたんだもん」という。いじめもそうなんだよね。「私がやった」って言うんじゃなくて、「だって、<みんな>でやったんだもん」って言う。そういう<みんな>がやる<みんな>が決めたことって、一見いいことに思えちゃうから否定しずらいわけ。(P34)

<みんな>に異議を申し立てる少数派の心細さがそのまま書かれてて首がもげそうになっています。そして「民主主義=多数決」が同調圧力につながってしまう怖さにも触れられていて

原:(略)学校のような小さな社会でも、民主主義=多数決という図式が成立してしまうと、少数者というのは常に疎外される立場に置かれる。そこまではまだいいんです。問題はその先で、少数が間違っているという価値判断が入ってくると、少数派は反省して「正しい」多数派に合わせなければならないということになってくる。(P31)

ここらへん私が性的少数者であるせいもあって理不尽さに首がもげるほど頷くしかなかったのですが、住んでいるのが勤労者かつ給与所得者で核家族という同質性を持った住民で構成される団地の中でもあったことのようで、いまにはじまった話ではないことを本書ではじめて知り(P31)、唸らされています。

団地史にとどまらないかなり濃い本でした。偶然手に取ったこの本がきっかけで、原武史さんと(どこに問題意識があるかはじめて知った)重松清さんの本をチェックしはじめています。積読が増えてしまっていますが後悔はしていなかったり。