英国の首相と藤の花を分けるもの

勤労学生であったので大学生の頃にバイトをしていてそのバイト先の隣のセクションの手伝いをしていたときに、そこの上役にあたる人が「巻き尺が必要だな」といえばいいところを「英国の首相が必要だな」とぼそっとつぶやきました。当時の英国の首相がジョン・メージャー(Jon Major)でそれにひっかけてのことなのですが、どう反応していいのかわからないでいると隣のセクションの仲の良いバイトの人が「あれは反応しなくていいから」と小声でつぶやいたこともあり、そのときはツッコミもせず笑いもせずそのまま黙々と作業を続けています。私は反面教師となった人から学ぶことが多いのですが「くだらない駄洒落はいうべきではないのだ」「ああいうふうにならんとこ」とその人から学習しています。はてな今週のお題「おとなになったら」に関連してなのかダイアリの編集画面を眺めていると思い描いていた「大人」になれてる?というのをここ数日ちょくちょく見かけますが、ぎりぎり未成年だったときに聞こえた「英国の首相」のインパクトが強すぎて、大人になってからこちら、いまのところ反応に困るような駄洒落を飛ばすような大人には少なくともなっていない(はず)です。

とはいうものの。

大人になって観るようになった歌舞伎に『藤娘』という舞踊の演目があり長唄が流れるのですが「いとしと書いて藤の花」という部分があります。「いとし」を漢字に変換すると出てくるのが「愛し」ですが「愛しと書いて藤の花」では意味がわかりません。ずっと謎だったのですが、亀戸で藤の花を前にして彼氏が「いの字を縦に10個書いて、縦に10個書いたいの字の真ん中に通すようにしを書けば藤の花だろ」と解説してくれてやっと謎が解け、江戸期の人の洒落に唸らされたのですが、そのときなんとなく悟ったのは、私が気が付かなかっただけでもしかして世の中あんがい洒落や駄洒落に満ちているのではあるまいか?という点です。そしていとしと書いて藤の花みたいな洒落たことは云ってみたい感が無いわけではありません。

仮に世の中に洒落や駄洒落が満ちているとして、英国の首相のように反応に困る駄洒落と藤の花のように唸らされる洒落があることはなんとなく理解できたのですが、その差を分けるのはなにかというといまだわかりません。

勤務先で訂正を依頼しなけれないけないめんどくさい書類を前にしてドラゴンボールの悟空の声真似をしながら「オッス、オラ億劫」といったら笑いをとれるだろうかと思ったものの英国の首相と同じく白眼視されるのが必須な気がしてならず堪えつつ、書類に目を落としながら頭の隅っこでふたたび英国の首相と藤の花を分けるものはなんだろうとか数秒真面目に考えてた時点で思い描いていた大人からはいくらかズレちまったかな感はあったり。