『作りたい女と食べたい女3』を読んで(もしくは善意で囲まれたときの息苦しさのこと)

マンガをたくさん読んでいる人が世の中に居て、昼間働いているのでそれほど読めるわけでもなく、なのであんまり読んでいるほうではない奴が読んだ本やマンガについて何か書くということに抵抗を覚えていることを何度か書いています。ましてやこれから感想を書こうとしているマンガは性的少数者が登場人物です。私もそこに一応は属するのですが頭がゆるく、アセクといった横文字などに疎く根本から理解できてるか怪しいので避けておいた方がよいかな、と思いつつ、なにも書かずにいるのがちょっともったいないので書きます。

『作りたい女と食べたい女3』(ゆざきさかおみ・KADOKAWA it comics・2022)というマンガを読みました。いくばくかのネタバレをお許しいただきたいのですが『作りたい女と食べたい女1』では料理を作るのが好きな野本さんが以前フライドチキンの大袋を抱えていた隣室の春日さんに声をかけたことを軸に物語は進みましたが、3では春日さんに野本さんが宮城式の雑煮を作るところからはじまります(19話)。どんな雑煮を作ったかは本作をお読みいただくとして。

さて、本来ならば料理を作ることや食べることというのはおのれの意思で選択しておのれの責任で行うことが出来ます。もちろん料理を作ることや食べることに関して以外もそうです。3巻ではどちらかというと「自ら選択すること」について掘り下げられています。春日さんが大事な選択をするのですがそれは本作をお読みいただくとして。

3巻では南雲さんというどちらかというと小食の登場人物が出てきます。やはり詳細は本作をお読みいただきたいのですが南雲さんはある選択をして引っ越してきて春日さんや野本さんと知り合いやりとりするうちに、「食べなくてもよい」という選択肢のある世界が実際にあり、かつ、その選択をして≒「食べなくてもよい」を実践して受容してもらえたことを理解するシーンがあります(24話25話)。若干主語が大きくなりますがこの国では善意でたくさん食べさせようとしますし、やはり主語が大きくなるのですがこの国では他人と同じ行動をしないことに関して善意でそれを是正しようとします。南雲さんのエピソードは(ここらへん手に取るようにわかるのですが)あるはずの選択肢を封じる善意をまとったそれらの行動やそれに従いたくない場合の行き場のない残酷なまでの息苦しさを見事にフィクションにのせて描かれていました。

もうひとつ書かなければならないのがいわゆる「グラデーション」の話です。野本さんが自らのことについて自覚をしつつもそれが他の性的少数者の話と若干異なることに気が付きweb上の同性の知り合いにその点について告白するシーンがあり、やはり詳細は本作をお読みいただきたいのですが、そこらへんのやりとりがけっして画一的ではない性的少数者に関するよくある肝心なところを判りやすく説明しているはずです(はずですって書いたのは当事者でありながら私は語れるほど知識がないからです)。

過去2冊と同様に、3巻もドーナツや天かすと豆腐を卵でとじてめんつゆで味付けするたぬき丼の他に、いくつもの料理が出てきます。餅にチーズをのせベーコンを巻くものが出てくるのですが、ほのかな塩気があるはずで真似させてもらおうかな…という気になっています。本作ではさらに餅について未知なる味覚を求めて探求がなされるのですが、コスプレの話メインの着せ恋と同様に「好きなことを追求してる人たちの物語」は眺めているだけで引き込まれます。それがこの物語に別の魅力を与えているような。

今秋、『作りたい女と食べたい女』はNHKで実写ドラマ化されるそうで、できれば南雲さんの話はやって欲しいです。でもどうだろ。