手袋の問題

関東平野は冬になると北西から強い風が吹きます。それを場所によっては「からっ風」といったりするのですが関東の冬の寒さのうちの何割かは風によるものです。関東の田舎者が冬の京都へ行って思い知るのは盆地の風由来ではない底冷えする寒さです。「どうせ寒いならどっちが良いか」と問われたら悩みます。正直どっちもイヤです…ってそんなことはどうでもよくて。

はてな今週のお題「防寒」を引っ張ります。

関東在住なので風が冷たいので防寒のために手袋をすることがあります。しかし電車内では外していて、それをカバンの中に入れればよかったのですがカバンに入れずにいて、そのままうつらうつらしてしまい乗換駅であわてて起き、手袋を電車に置きざりにしたまま降りたことがあります。高浜虚子の俳句に「大いなる手袋忘れありにけり」ってのがあって、正直、手袋がない状態で冷たい夜風に吹かれると「大いなる手袋」の意味がほんと肌身に染みてます(それが安物であったとしても)。でもって、これ、笑いをとるための句ではなく悲しみを詠んでいると推測しています。体験してない人には笑えるかもしれませんが、体験しちまうとちょっと笑えないです。でもって一度体験してしたことによって繰り返してはいません。

子規の句には「手袋の左許りになりにける」ってのがあります。以前は似たようなことが私にも起きていました。特に朝の出がけに片方が不思議と見当たらなくなるのです。手袋の片手が自ら脱走することはあり得ませんから、どう考えても犯人は私です。この点については帰宅したら両手分をちゃんと決まった場所≒定物定位置に置くようにすることによって、少なくとも去冬はほぼ回避できています。もうちょっとスマートにやりたいところですが思いつきません。

さて、冬に手袋をすることが多いからあたりまえかもしれませんが、手袋を見失うのはたいてい冬です。寒風吹く中でないと困るものを落としたり見失ったりしてるうちに、「もしかして私は冬になると注意力散漫になるのではないか」と思っていました。

でもなんですが。

虚子や子規の句を眺めてるとわれわれ日本人はもしかして手袋を落としやすい・見失いやすい残念な民族なのではあるまいか?冬になると注意力散漫になる民族なのではあるまいか?と思えて仕方ないのです。それが民族特性だとするならば私が手袋を忘れたり見失ったりするのもやむを得ないかな、と(異論は認める)。