「人間の記憶は不確か」について

博多華丸大吉師匠の漫才のネタの中に「人間の記憶は不確かである」という主張する中洲産業大学卒の福岡のお父さんが出てきます。それに付随して記憶のことを何度か書いていて、今日もそのことを書きます。

週末に寄ったところの傘立てが3ケタの任意の数字を設定してロックがかかるダイアル式のものでした。そこで794ウグイス平安京だとか894ゲロゲロ遣唐使廃止とかにしとけばよかったのですが適当な3ケタを設定していて、帰るときには設定したはずの数字をあわせたのですが、ロックが解除になりません。それほど時間が経過してないにもかかわらず忘れていたわけで。「いや、それじゃないだろ」と手が伸びて「スマホで撮っとけば?」といわれながらも下一ケタを別の数字に合わせたらロック解除になり、傘を取り出せて相合傘を回避できています。こういう経験をすると昼はちゃんぽんだったけど夜はなんだっかか思い出せない中洲産業大学卒のお父さんを笑えませんし「人間の記憶は不確かである」という主張はもっともだと思えました。

そのときは。

くだらないけど続けます。

給与の口座の暗証番号はさすがに忘れないのですが、同じ銀行の貸金庫の暗証番号を長いこと忘れていました。もちろん口座の暗証番号とも違います。いままで用が無いからそれでも問題なかったものの、その貸金庫の中にはある会社の株券が入っててその会社が株券不発行会社に移行するので株券を送付して欲しいと云われてて、問題にいつかは対峙しなければなりませんでした。朝いちばんに銀行へ行き、まずは正直は最善の策というから行員さんに「忘れちまいまして」と話そうとしたのですが、でも店内に入ると「その前にちょっとトライしてみるか」と考えが変わり、いざ貸金庫の入り口に立つと前に来た相続の時の記憶が蘇り暗証番号も浮かんで、それを打ち込むと開いています。なんのことはない、忘れていたはずの数字を覚えていたわけで。その場で封筒に入れ処理を終えて外に出て来て一件落着となりました。なんだろ、こういう経験をすると「人間の記憶は不確か」とはいいきれず「場所に付随した過去の記憶は簡単には忘れないはずである」と異論を唱えたくなるのですが。

とはいうものの。

肝心かなめの数字を記憶していたにもかかわらずそのことを簡単には思い出せなかったわけで、やはり「人間の記憶は不確かである」と云われればぐうの音も出ないです。ぐう。