コロナ前には戻れないという言葉を耳にして(もしくはパン屋の閉店について)

ふだんはヨーカドーで売ってるような高くはない食パンを朝に食べます。しかしたまに値段がちょっと高めの良いパンを買い、味覚は思考を封印するので「うまいなあ」と舌で感じ、抱えてる仕事で処理しなければならぬことを想起して陰陰滅滅になりそうなのを封印することがあります。食というか味覚は自分にとってかなり重要なところがあって、なので味覚障害が出るというのを聞いてからずっと新型コロナの感染対策のため手洗いなどは怠ることなく続けてます…ってそんなことはどうでもよくて(よくないかもしれない)。

いつものように話が横に素っ飛びます。

登戸など小田急線沿いを中心に北欧(HOKUO)というチェーンのパン屋さんがあります。小田急の沿線ではない都心部にもいくつかあり、親が最期に居た病院のそばにも北欧があって、親の最期が近づいてお腹がすくという感覚があまりなくても、不思議と北欧のパンは喰えてました。パンを食べてそれまでの思考をシャットアウトして「次に何をしなければならぬのか?」というのを冷静に判断できています。決して通常ではない状況の中において、比較的冷静さを保てた要因のひとつはパンだと思ってて、以降、より贔屓にするようになっています。味覚で思考を封印するためにいつもよりちょっと高めのパンを購入するときの重要な選択肢のひとつになりました。

北欧のパンについて(もしかしたら)誰もが「おいしい」という評価を下すとは限らないかもしれません。行列ができるほどの人気があるパン屋でもありませんし、新大阪など撤退したところもあります。私個人は「おいしい」と思っているのですが、その「おいしい」という記憶は、個人的体験と思い込みが何割か入ってるののでは?という気がしないでもないです。そもそも「それまでの思考がシャットアウトされる程度に味覚に集中してしまう≒おいしい」という図式は万人にあてはまるものとは限らないかも。

おいしいと思うかは是非買って食べて確かめていただきたいのですが、北欧は去春以降売り上げが低迷し来年の2月で全店閉鎖という方向になってしまいました(ただしDONQが数店引き継ぐ予定)。付随する記憶もある店なのでただただ残念であったりします。北欧のパンを少し特別なものとして維持したくて、味に慣れぬようしょっちゅうは買わずにいて、なので「たまにしか買わないからだ」といわれればぐうの音も出ません。

「コロナ前には戻れない」という語句も理屈も知ってはいるものの、駄々をこねてなんとかなるのなら「パン屋はコロナ前に戻してくれよう」と駄々をこねたいところであったり。