日本読書株式会社

いつもと同じようにくだらないことを書きます。

発作的座談会(椎名誠沢野ひとし木村晋介目黒考二著・角川文庫)という本をたしか高校生の時に確かハーケンと夏みかんと一緒に読んでいて、文庫落ちしたものを古本屋で見つけいまでも手許にあって捨てられずにいます。「コタツとストーブどちらがえらいか」とか限りなくどうでもいいものも含まれるのですが(名誉のために書いておくと「無人島に持ってゆく本」等のテーマもある)、ひとつのテーマに関して本の雑誌社の幹部が語ったものを活字化した本です。その中に良い本を万人にすすめたいという観点から出た「日本読書株式会社」というのがあります。1ヶ月1000円の会費で中立な立場でカウンセリングしながら面白い本をすすめるなどの手法で本を紹介することで商売ができないか?1ヶ月1000円で2万人集めれば2千万で、経費を半分の1千万に抑えればなんとかなるのでは?などと話が進みます。

いつものように話は横に素っ飛びます。

はてなハイクというマイナーなSNSに居たときに、本をたくさん読んでるであろう人なのですが「この小説家のおもしろさがわかんないなんてわかんない」という趣旨のことをいう投稿をみかけたことがあります。どこか同調圧力みたいな怖さを感じて距離を置いています。上記の「日本読書株式会社」では99人が面白いと感じても残りの1人が面白いとは感じない可能性も考えて制度設計をしてて、同調圧力もなさそうだし私みたいなマイナーな読書傾向もカバーしてくれてるなら1000円ならいまでも検討の価値があるかも…ってぜひ詳細はお読みいただきたいところです。

日本読書株式会社に引き摺られて個人的なことを書くと、恥ずかしながら私は他人が面白いとか他人が良いとすすめた本を読めなかったことがあって(「かもめのジョナサン」と「ライ麦畑で捕まえて」はこの歳になっても最後まで読んでいない)、誰かが面白いとか良いと言ってても手に取ることはそれほど多くはないです。たぶん他人と本を読むうえで何かが決定的に異なるのでは?と疑ってて自分が面白いと思っても他人が面白いとは限らないはず、という意識があって、読んだ本のことについて「読んでどう思ったか」については書いても(「赤めだか」は例外として)他人に薦める前提では書いてないです。そもそも他人に紹介できるほど本もたくさんは読めてません。上記の日本読書株式会社では読書士という難関資格的な国家資格制度も想定してるのですが、絶対それに合格できる自信はありません…って、私のことはともかく。

あったら魅力的かもしれぬ日本読書株式会社について議論は白熱して闇書評は懲役であるとかモグリの本の紹介は良くないとか「本の紹介や書評はプロが行うべきである」という発想が明文化されてはいないもののチラチラと出てきます。トータルでは抱腹絶倒なのですが、木村晋介さんが専門職の分野から言論の自由などの観点から発言してはいるものの暗黒の世界にいくらか近く、どこかイヤだなあ、とうっすらと感じていました。日本読書株式会社に未来はあるのかの検討を含め、詳細はやはりお読みいただくとして。

日本読書株式会社の存在は忘却の彼方にあったのですが、Tik Tokで本を紹介してる活動をしていた本好きの人が書評家に批判されて活動を止めた、というのを知って、既視感を覚えて日本読書株式会社を思い出してます。日本読書株式会社の背景にあるような「本の紹介や書評はプロが行うべきである」というのが見え隠れして暗黒の世界っぽく感じられ、現実が本の雑誌社の妄想に追いついて「ちょっと怖いな」と思った次第です。Tik Tokに限らず本好きの人が本の紹介をすることは別に誰がやったって良いのではないか、という気が。

最後にどうでもいいことを。

日本読書株式会社では本を読むときに座布団のほかに耳かきがある設定で、この世には本を読みながら耳かきをする人が居るのかと衝撃を受けています。机の上にはお茶も必要とされてるのですが、私は本を読んでいるときに飲み物を飲んでしまうと液体が喉を通過する音が気になってしまうので、熟読するときは飲料はそばにまず置きません。なんだろ、読書のスタイルって個人差があるのかもなあ、と。